祈りは永遠に。

20:心配

 名前を、呼ばれた気がした。
 肩が痛むのも気にせず、とにかく走る。名前なんてただの識別記号。ボクにしてみたら、イオンじゃない別人、ってだけのもの。名前なんて「イオン」じゃなければ、何でも構いはしない。大切でもなんでもないはずなのに。生まれてこの方ずっとそう考えてきた。だから「シンク」という名前に大した愛着もなかったくらいだ。
 それなのに。
「シンクっ……!」
 声が聞こえてきた方向に向かって走る。人気のない廊下に浮かぶ譜業椅子。それが誰のものかなんて考えなくても解る。普段は一人しか乗っていないそれから落ちてくる人影。椅子から廊下までの距離はそんなにない。彼女に受け身を取る時間も技術もないだろう。
 必死に、手を伸ばした。この高さでは死にはしないだろうし、怪我したってせいぜい打撲程度で済むだろうけれど。
 傷付けたくなかった。
 腕に確かな重みを感じる。――間に、合った。
「ボクの副官に何してるワケ?」
 床に這いつくばる死神に向かって吐き捨てた声は、自分のものとは思えないくらい低かった。
 腕の中の少女――もとい、第五師団副師団長であるの身体は小刻みに震えていた。そういえばこいつ、飛び降りて死んだって言ってたっけ。
、大丈夫?」
「しん、く……?」
「死神に何かされたの?」
 今度もまた、自分でも聞いたことのないような声だった。ボク、こんな声出せたんだ。そう思ってしまうくらいに優しい声。
「だい、じょぶ。シンク、どうして」
「……アンタが呼んだんでしょ、ボクのこと」
「それはそうだけど……任務中じゃ」
「今帰ってきたところ」
 の瞳が両目をしっかりとボクを見据える。彼女はただの駒だ。ヴァンを勝たせて預言に縛られた世界を壊すための駒。そんな彼女をイオンに渡したくないと思うのは当然のことだと自分に散々言い聞かせてきたのに、ふにゃりと破顔したを見ているとなんだか調子が狂う。もまたオールドラントにあるしがらみを壊したいと思っているはずなのに。
 異世界から来たという少女はひどく弱いというのに、どうしてか強くも見えた。
「おかえりなさい、シンク」
 そんなは自分のことやディストのことなどまるで忘れたようにニコリと笑いながらそう言った。
 おかえりなさい、なんて。初めて言われたような気がする。今まで得たこともない言葉を、腕の中のはあっさりと簡単に告げてくれた。その言葉にボクはなんて返したらいいんだっけ。まるで人間に触れてくれるように彼女はボクに接してくれる。レプリカであるボクはヴァンの駒。生まれてすぐに酷い扱いをされたせいで自分の立ち位置さえ見失いかけていた。
「……シンク?」
 腕にかかる重みは、のもの。ボクは少し迷ってから、ようやく口を開いた。


2015.12.15 柿村こけら



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