Tales of
青い夢を溶かす指
「あ〜……やっと終わった……」
ぐたり、机の上に上半身を投げ出す。赤ペンをペンケースにしまいつつ、私は両サイドに積まれた紙の束を見遣って溜息を吐いた。北風がすっかり冷たくなり本格的に冬が到来した今日この頃、つまるところ学校では期末試験のシーズンである。副担任として受け持っているクラス以外にも教科担当をしているクラスの分の採点もやらねばならないのでだいぶ量の多い仕事ではあったが、無事ミッションコンプリート。生徒たちはもうすぐ冬休みに入るため、自動的に私たち教師も短期ではあるが休暇となる。冬季休暇前にテストの採点・返却、それから冬休みの課題を用意しないとならなかったのだが、それも今日で終わりだ。……ぐぬ、五分ほど定時をオーバーしてしまった。残業しない主義なんだけどなぁと思いながらタイムカードを切って帰路に着く。明日生徒にテスト返却して、冬休みの課題を渡して……私もめでたく冬季休暇。二週間も休みだし、折角だからアルヴィンやルドガーのところに顔出しに行ってもいいかな。
「晩ご飯どうしよう……」
私の家にある冷蔵庫は、まだ実験段階の源霊匣だ。長時間起動することは難しいため、食品の保存に最適かと言われると首を縦に振ることはできない。けれど元々リーゼ・マクシアには冷蔵庫や洗濯機などの自動機械が存在していなかったから、それを考えれば技術自体は進歩していることになるが。
ひき肉、卵……ん、これだとハンバーグかな。長らくルドガーから料理を教えてもらったお陰で、私の料理スキルはすっかり上達した。今では普通に料理が上手いポジションに落ち着いているほどだ(もっとも、ルドガーとジュードには負けるけど……)。さて、と……メニューも決まったし料理に入ろうかな、と思ったところでタイミング良くGHSが鳴った。設定された着信メロディはジュードからのもの。すぐに着信を受けると、あ、という小さな声がGHSの向こうから聞こえてくる。以前よりも少しだけ低くなった声――変声期を終えてもなおアルヴィンやガイアスのように低くなることはなかったが――は、ちょっとお疲れのようだった。
「ジュード?」
『あ……、突然ごめんね。ちょっと時間ができたから、それで……今、時間大丈夫?』
「うん、平気だよ。これから夕飯作るとこ。明日の終業式が終わったら私も冬季休暇だし、年末はゆっくりできそう」
『そっか、良かった』
「ジュードの方はどう? 研究の調子は……」
『んー……まあ、ぼちぼち。今はデータの処理待ちだから、ちょっと時間が空いてるんだ。の声、聞きたくなってさ』
かけちゃった、と少しくすぐったい声で告げるジュードは、疲れをごまかしているようだった。電話越しとはいえジュードのことが解らない私ではない。もう何年の付き合いだとおもってるんだか。きっと、気付いて欲しいけどそんなワガママは言えないから、遠回しにこんなことをしているんだ。
もちろん立場上、ジュードが頑張らなきゃいけないことは解ってる。マクスウェルと約束をした張本人はジュードだ。断界殻を解いたのも、源霊匣を洗濯したのも。でも……ジュードだけが頑張らなきゃいけない、なんてことはないんだけどな。
『ところで、今日の晩ご飯は何なの?』
「ハンバーグ。卵もあるからロコモコ丼にしてもいいかなーって思ってたトコ」
『ロコモコ丼かぁ……いいね、聞いてたら僕もお腹空いてきちゃった。ルドガーの料理が恋しいよ』
「私も久しくルドガーのとこ行ってないなぁ……」
ルドガー特製トマトオムレツを食べるためにはエレンピオスに行かないといけないので、冬季休暇中に行くとして……問題はジュードだ。どうせ栄養剤とか健康補助食品とかで何とかしてるんだろうけど(医者の不養生!)(あ、医学者か)。
『あ、ごめん。解析結果が出たみたい。……久々にと話せて良かった。風邪引かないようにね』
「……うん。またね、ジュード」
ぷつり、通話が切れる。画面に表示された通話時間は三分ほどで、決して長い時間ではない。ジュードはエレンピオス、私はリーゼ・マクシア。最初に旅をしていた頃の目的地とはすっかり真逆になってしまったし、お互いに仕事が忙しいから直接会うことは滅多にない。メールでおはようとおやすみは頻繁に行っているけれど、声を聞いたのも久々だ。多分、二週間ぶりとかそれくらい。ジュードは実験中手を離せないし、私は授業中手を離せない。生活リズムがズレすぎていて、こればっかりはどうしようもない。
でも……やっぱり、心配だな。ジュード、すぐ強がっちゃうから。GHSの通話履歴にジュードの名前はあまりない。ルドガーの方が多いくらいで、それだけジュードと話してなかったんだ、ということが伺える。
「あ……」
そうだ、と思い立って冷蔵庫を開く。明日の分の食材がないから、学校終わったら買いに行って、それから……うん。できそう。
翌日、無事ホームルームを終えて冬季休暇に入った私は早速カラハ・シャールの露店に向かって食材を補充した。今日の分の晩ご飯……ではなく、ジュードにお弁当を作るために。ルドガーの店は予約さえ入っていなければ宅配注文も受け付けているから、私からルドガーに連絡してジュードにご飯を届けてもらうこともできるんだけど、生憎年末ということで忘年会の予約が入りまくりでルドガーは手が空いていないようだった。いいなあ、忘年会。またみんなで集まってできたらいいんだけど、なんて考えながらぴかぴかのお弁当箱に作ったおかずを詰めていく。玄米に卵焼き、ミニハンバーグ、それからほうれん草の胡麻和え。お弁当だから冷めても不味くならないものを。それからいきなりたくさん食べたらそれはそれで体に悪いのでその辺も調節しつつ。
「よし、できた!」
お弁当箱を包んでカバンに入れ、机の上に置いておいたGHSを取る。コール先はジュード……ではなく、バランさん。事情を説明するとアポを取り付けてくれたので、私は忘れ物がないかもう一度確認してマクスバードへ向かった。
「失礼しまーす」
人影のない研究室に入る。到着は夕日が水平線に隠れてしまった後になってしまったため、ほとんどの職員は帰ってしまっていた。もちろんバランさんやジュードのように残業している職員がいないわけではないが、部署が違うだとかで室内は空っぽ……あ、いや。一つだけ机に突っ伏した姿がある。私はその隣の椅子をカラカラと引っ張って腰掛け、くぅくぅ熟睡する姿を見た。
「もー、メガネ掛けたまま寝てるし……」
黒縁メガネを掛け始めたのはいつからだったか。決して視力が極端に悪くなったということではないんだけど、最初は違和感があったその姿も今ではすっかりお馴染みになっている。ワックスの効果が落ちてきているのか、毛先は少し下を向いていた。机の周りには栄養ドリンクの空き瓶が並んでおり、足元のゴミ箱には栄養補助食品のパッケージが捨ててある。ぶつけないようにそっとメガネを外してやれば、目の下にはクマがしっかりと浮かんでいた。
「……お疲れ様、ジュード」
頑張ってるんだなあ、なんて月並みなことを思いながら、私はジュードの頭を撫でる。人の気配には敏感なはずなのに目覚めないということは、よっぽど疲れているということなのだろう。しばらくヨスヨスと頭を撫でていると、白衣姿のジュードがゆっくりと目を開いた。
「んぅ……」
「ジュード?」
「ん……あれ? 、なんで……」
目を擦りながら身体を起こすジュードは、ぽや〜っとした瞳でこちらを見遣る。ふふ、昔もこういうことあったなあ。あの頃と同じように手を伸ばしてジュードに向ければ、彼は椅子から立ち上がることなくぽすん……と腕の中に倒れ込んできた。よっぽど眠いのか、睫毛の下で瞳は半開きになっている。ジュードに会う時間、もっと取れたらいいんだけど……それはちょっと難しい。だからこういうちょっとした時間は貴重だ。
「…………あれ、んん…………? あれ……僕……」
「おはよ、ジュード。大丈夫?」
「うん……って、……本物!?」
「本物だよ。ていうかこのパターンもう何回やったの、もう。目が覚めたんだったら一回立って、背筋伸ばして」
「う、うん」
ようやく覚醒したらしいジュードは私から離れて、ぐ〜っと伸びをしながら立ち上がる。……と同時にボキボキボキ、と身体中がボコメキョに音を鳴らした。私もデスクワーカーだけどジュードも相当だなあ。
「んん〜……、もう冬休みなんだっけ?」
「そうそう。だからちゃんとご飯食べてなさそ〜なジュードにお届け物をしに来ました。あ、ちゃんとバランさんにアポは取ってあるからね」
これ、と言いながらお弁当の包みを取り出す。粗熱を取ったこともあって器はすっかり冷めていた。再び椅子に腰掛けたジュードは、オレンジ色の包みを開くとかぱり、蓋を開ける。
「わ……!」
「ルドガーのお弁当と比べたらまだまだだけどね。……ジュード、ちゃんと食べてないだろうなって思ったから」
「はは……の予想通りだよ。っと、いただきます」
お弁当箱用の短い箸を手に、ジュードはハンバーグを割る。トマトケチャップの塗られたそれを嚥下し、ジュードは嬉しそうに頬をほころばせてくれた。
――俺の作った料理を、誰かが幸せそうに食べてくれるのが嬉しいから。だから俺は料理をするんだ。
そんなルドガーのコメントが脳裏に蘇る。ホント、その通りだ。子供みたいにお弁当をぱくつくジュードを見てこっちまで嬉しくなってしまう。
「、この後はレイアのところに泊まるの?」
「いや、今からホテル取ろうかなって考えてたとこ。明日は午後からアルヴィンのところ行く約束してるし」
「そっか。……あのさ、僕今日は上がろうと思ってたから、もし良かったら僕の家に泊まってく?」
「いいの? ジュード、疲れてるんじゃ……」
「大丈夫。それにと一緒にいられる方が疲れも取れる気がするし。……ダメかな?」
「うぐっ……」
昔だったら「いいかな?」と聞いてきた気がするんだけど……もぉ、いつの間にこんな風に人の心に滑り込むのが上手くなったんだか。そう聞かれては当然ノーなんて言えないわけで、私は拳を作るとジュードの頭をコツンと小突いてやる。ジュードは唇をゆるめると、にこりと私に微笑んだ。
2018.12.21 柿村こけら
ユイさまリクエストありがとうございました!
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