Tales of
心当たりを射抜く熱
「ん〜……んんん……」
「おいおい、マジで大丈夫か? ったく、ジュードの奴もこんなときに何やってんだか」
アルヴィンがさすさすと背中をさすってくれる。家族同然に育った男の前で今更恥も何もないので、私は身を屈めると手元にあった洗面器に胃の中身をぶち撒けた。完全に吐き出し終えて、一口分くらいの水滴を作って口の中に突っ込む。胃液のせいで口の中はひどく苦い。
「げほっ、げほっ……し、かたないって……ジュード、今日の学会は外せないもん。休もうかって言ってくれたけど、私が行ってきてって言ったんだから」
悪いのはジュードじゃない。体調を崩した私が全面的に悪い。……にしても、私、そんな不摂生な生活を送っていたっけ? 数年前ならいざ知らず、源霊匣の供給が安定した今では徹夜してまでカリキュラムの組み直しをしたりはしない。
「うぅ……食べた物全部出しちゃった感じある……お腹空いたけど食べたらまた吐くコースだよねこれ……」
「だろーな。エリーゼ呼んで治癒術かけてもらうか?」
「エリーゼ、学校の友達と旅行中だから……もうこの際吐いてもいいからなんか食べるか……アルヴィンなんか持ってない?」
洗面器の中身をゴミ袋に移しながら、私はソファから上体を起こしてアルヴィンを見る。すっかり商人が板についたアルヴィンは、やれやれと言いながら部屋の隅に置いていたパレンジ籠の蓋を開けた。そこからパレンジを一つ取り出し、私に向かってぺいっと投げる。まだ熟れていないパレンジは皮が硬くはあったけれど、歯を立てればすぐに果肉に辿り着いた。あ、なんかパレンジは食べられそう……な、気がする。
「、平気か?」
「とりあえず……アルヴィンの取り扱ってるパレンジ美味しいし、吐きたくないから頑張る……」
柑橘類の甘い匂いが鼻先を抜けていく。
体調が悪いな、と実感したのはここ数日のことだった。霊勢の変化もあってか体調を崩す人が続出しているため、私もそれに当てられたのだろうと勝手に思っていたのだけど、そうじゃないのかもしれない。ジュードは研究発表を控えてエレンピオスに缶詰だったから、いくら医学者といえど私のことを逐次観察するわけにもいかず。
「んぐ……」
「どうだ?」
「……大丈夫、そう。うー……ほんとなんでこんな体調悪いんだろう……霊力野があるわけでもないのに。アルヴィンはなんともないんだよね?」
パレンジをごくんと飲み込んでからそう問えば、アルヴィンは頷いた。となるとやっぱり種族的な原因ではなく、ただ私の体調が悪いだけということだろう。熱はないのにふらつくというのも妙な話だけど……熱中症、にしては季節が外れているか。
さっきまであんなに腹具合が悪かったというのにパレンジはあっという間に喉の奥へと消えてしまった。吐き気がぶり返してくることもないのでこれ幸いとばかりにアルヴィンが剥いてくれたパレンジをもう一つ口にする。……やっぱり、パレンジは大丈夫そうだ。果肉が柔らかいからだろうか、なんて考えている間に二つ目のパレンジもすっかり食べ終え、空腹感が満たされたせいか眠気が襲ってくる。
「ごめん、ちょっと寝る……」
「ん、気にすんな。ジュードが戻ってきたら起こすから、ゆっくり寝てろ」
アルヴィンの手が私の頭をゆっくり撫でてくれる。まだ私が年端もいかない子供で、ジルニトラで暮らしていた頃にそうしてくれたのと同じように。眠気に抗うことはできず、私は目を閉じてまどろみに身を任せた。
「……」
少し迷って、GHSを起動する。ジュードは学会中だとは言っていたし、メールを送ってもすぐに返事はないだろう。それでも連絡はしておくべきだと考え、アルヴィンはカコカコとボタンを押し込んだ。ジュードのことだ、の体調を考えて学会が行われているイル・ファンから高速で戻ってくるに違いないから、道中にでも確認してもらえれば上々である。の体調は戻りそうにないこと、パレンジだけは食べられたこと、今は寝ていること、それらを綴りながらアルヴィンは寝室へ視線を向けた。粥でさえ戻してしまう中、パレンジだけは食べられるというのもおかしなものだ。は元より身体の半分を精霊との契約で変質させているわけだから、体調不良というかたちで影響が出てくること自体は可能性としてあるだろう。それにしても突然のことで、本人もどうしてこうなったのかまったく解っていないようだった。
「考えても解るわけねえ、か。ジュードが戻ってくるのを待つとしますかね」
それから数時間経って、辺りが暗くなる頃に家のドアが開いた。かつては霊勢によって朝だろうが夜だろうが空の色は変わることなどなかったが、ここ数年で急激に変わりつつある。最初は夜域などが消えゆくことに混乱していたリーゼ・マクシアの民も、今ではすっかり慣れてしまったようだった。
「アルヴィン!」
「おかえりジュード、学会はどうだった?」
「予算の方は分配してもらえそうだけど……って、今はそれより! の体調は?」
「ずっと吐きっ放しだったけど、飯食ってから寝て、まだ起きてねえよ。メールした通りだ」
「……そっか」
じゃあまだ起こさない方がいいかな、と言いながらジュードはソファーに腰を下ろす。彼がのことを心配しているのは明白だ。本当はすぐにでも寝室に飛び込んでいきたいだろうに、それを抑えている。
「ごめんねアルヴィン、色々任せちゃって」
「今更だろ。で? ジュード的には何の病気だと思う?」
「朝の時点じゃそこまで酷くなかったから単なる風邪かと思ったけど……もしかして……」
「? 何か心当たりでもあるのか?」
「……とりあえずの様子見てからにするよ。アルヴィン、今日は……」
「もう遅くなっちまったし、シャール邸に泊めてもらうわ。また明日来るからさ」
そう言うとアルヴィンは立ち上がり、部屋の隅にあったパレンジ籠の中からパレンジを手に取ると、ジュードに向かって放り投げる。それをキャッチしたジュードは彼を見送ると、早速パレンジを洗って一口サイズにカットした。早く顔を見たい気持ちを抑えながらもしばらく待って、パレンジを乗せた皿を手にジュードは寝室のドアをノックした。当然、返事はない。
入るよ、と声をかけて部屋に入る。キングサイズのベッドの上、彼女は胎児のように身体を丸めて眠っていた。幸い寝ている間に吐くことはなかったらしく、乱れたシーツに汚れはない。
「、大丈夫?」
「……んん、」
「遅くなってごめんね。ただいま」
「じゅー、ど……ん……あー……おかえり、」
声をかけると、はのそりと起き上がる。しかしまだ体調が優れないのか、すぐにベッドに崩れ落ちた。ウンディーネとの契約のせいもあって体温が低いはずの彼女にしては珍しく、額には汗が浮かんでいる。ぺたりと張り付いた前髪を指で避けて、ジュードはの頭をそっと撫でた。
「ごめんね……心配させちゃって」
「大丈夫だよ。アルヴィンが置いていってくれたパレンジ剥いたんだけど、食べられそう?」
「うん……何か、パレンジだけは食べられたんだよね……」
「……そっか。薬を飲むにしても、とりあえずお腹に何か入れないとだから。はい、あーん」
「……あーん」
フォークに刺したパレンジを目の前に差し出され、少し恥ずかしがりながらもは口を開けた。風邪のときにもこうして食べさせてもらったことはあるが、そういうわけではないので気恥ずかしさが残っているのだろう。なんとかパレンジを食べ終えてから、は改めてジュードを見遣った。
「学会、大丈夫だった?」
「うん。心配しないで、発表はちゃんと終わらせてきたから。ちょっと診ていい?」
「お願いしまーす」
シャツの前を開いて、ジュードはの肌に手を伸ばす。臓器の上を押してみたり、脈拍を確認してみたり、色々確認したはいいもののさして変な様子はない。やはり風邪ではないようだったが、気になる点は残ったままだ。
診察を終えても何も言わないジュードに、流石のも気になったのか声をかける。ジュード、と名前を呼ばれたところで、彼はようやくはっとして顔を上げた。
「もしかして……私、何かヤバい病気だったりする?」
「いや……そういうわけでは、ないと思うんだけど……うーん。こればっかりは僕、専門外だからなぁ……明日、ちゃんとした病院に行った方がいいと思う。カラハ・シャールにも専門医はいるはずだし……」
「そうなの? ジュードの知り合いとか?」
「そうじゃないんだけど……」
少し躊躇ってから、ジュードはごくりと唾を飲み込むとの手を取った。いつもに比べるとほのかに温かい手をぎゅっと握り、琥珀の瞳がを射抜く。それから、そっと口を開いて告げた。
「えっとね、。……産婦人科、かかった方がいい、かも」
「……へ、」
ジュードの口から飛び出た言葉を、はゆっくりと咀嚼する。産婦人科。確かにそれは、大きな街ならどこにでもあることだろう。カラハ・シャールだけではない、イル・ファンやシャン・ドゥにもあるはずだ。ただの婦人科ではなく、産婦人科――それがどんな意味なのか、が理解できないわけもなく。
「えっと、えっ、その、えぇ……!?」
けれど理解できたからと言って飲み込めるかと言われれば、それとこれとは別問題だ。ただでさえ熱かった額が更に熱くなっていくのが解る。しかしジュードがそんな大事なことを茶化すなんてことがあるわけもなく、握られた手の感覚が現実を伝えてくれている。
「わ、解らないよ!? 僕だって専門じゃないし、ちゃんと検査したわけじゃないし! ……でも、引っかかる点は、あるから。その……心当たりがないわけでもないし、ね」
「……それはまあ、そうだけど……」
素面のときに思い出すものではないな、と思いながら、ジュードは手を伸ばしての腹部に当てた。当てたところで、何かが解るわけではない。胎の中に新しい命が宿っているかどうかを判断するのは、結局のところ専門的な診察だ。そういえばエレンピオスではそういうのを解析する黒匣もあったのだったか。今ではすっかり源霊匣に置き換わってしまっているが。
「……ジュードは、良かった?」
「え?」
「……もし、の話ね。本当に子供ができていたとして……その……まだ研究だって沢山あるし、マナ問題が完全に解決したわけじゃない。源霊匣の方は普及したって言っても――」
「いいに決まってるでしょ!」
「っ!」
「……世界だって、大事だよ。だって僕は……いや、僕らは、僕らの判断で世界の形を変えたんだ。でも、僕たちにだってそれぞれの人生がある。もちろん、にも。僕との人生なんだから、世界がどうなったって優先してみせる。だから……そんなこと、言わないでよ。育休だってちゃんと取るからさ」
「ジュード……」
ちゅ、とジュードの唇がの額に触れる。額の熱が急に全身を駆け巡ったような気がして、思わずは何度か瞬きを繰り返した。
「明日ちゃんと検査して、本当にが妊娠してたらさ。二人で、育てていこうよ。僕多分親バカになると思うけど」
「もう……気が早いよ、ジュード……ん、でも……嬉しい、な。ありがとう」
今度はが手を伸ばして、ジュードの頬にキスを落とした。熱がゆっくりとジュードへと移っていく。いつの間にか絡められた指は、解けることのないようにしっかりと繋がれていた。
2019.11.05 柿村こけら
にーな。さま、リクエストありがとうございました!
最終的に第一子長女、第二子長男になるといいなあとか思ってます……いつかそっちも出せるといいな〜!
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