Tales of

夕暮れの街とアイスクリーム

「もう知らない! 実家に帰らせていただきます!!」
 一生に一度くらいは言ってみたいよね、このセリフ。まだジランドおじさんが生きてた頃、ジルニトラの中では「実家に帰りたいのに帰れないジョーク」として流行ったとか何とか。
 ジュードが私の名前を呼ぶのを無視して、私は何も持たずに部屋を飛び出した。カラハ・シャールにある私の家ではなく、ジュードの部屋。しばらくエレンピオスに滞在する用事ができたからいつも通りこの部屋に泊まりに来ていたのだけれど、どうやら今日は別のところに泊まることになりそうだ。
 さて、どうしたものか。
 現在地はトリグラフ。この街に住んでいる知り合いはバランさん、ルドガーたち、それからレイア。でも確かレイアは長期の取材があるとかで家を留守にすると言っていたはずだから、自動的に選択肢は二つに絞られる。ジュードのことだ。私がどこに行ったか調べるのに、まずルドガーの家を尋ねることだろう、などと考えてジュードの思考を先読みする。だからルドガーの家はナシ。
 こういうのは得意だ。だって、ずっとそうやって生きてきたから。
 とは言え、お財布も何もかも持っていないから誰かに連絡を取れないのは事実だ。戻ってジュードに謝って、普通の暮らしに戻ればいいはずなのだけど、無駄に高いプライドがそれを邪魔する。こつんと爪先で小石を蹴り飛ばして夕暮れの街を歩く。どこかに入って時間が過ぎるのを待つこともできないから、歩みを止めることなくクランスピア社の方へ。もう会社も終わる時間だからか、会社ビルからはぞろぞろとスーツ姿の人が吐き出されていた。あ、ちなみに私は冬休みです。
「あれ? ? こんなトコで何やってんだよ、お前」
「アルヴィンだ」
「はいはい、アルヴィンですよっと」
 吐き出されるクランスピア社員の中、見慣れた顔があった。綺麗に剃られた髭の下、珍しくスカーフではなくネクタイを締めている。営業に来た別会社のサラリーマンみたいな感じ。アルヴィンの本質を知っている身からすると、一発目に出てくる感想は「うさんくさい」になるのだが。
「どうしたんだよ、こんなところで。ルドガーに用事か?」
「あ、ううん。そういうわけじゃないんだけど……」
 アルヴィンはユルゲンスさんと始めた商売がだいぶ軌道に乗った。一時期は家を転々としていたけれど、今は確かシャン・ドゥに――かつてお母さんが暮らしていたあの場所にーー住んでいる。と言っても営業やら何やらで家を留守にすることが多いという点では、レイア以上にどこにいるのか解らない存在ではあるのだが。
「アルヴィン、ユルゲンスさんは一緒じゃないの?」
「ユルゲンスは別のところに営業に行ってんだ。つーか、何で……あ、そっか。エリーゼも休みって言ってたし、お前も冬休みか」
「そうそう。で、まあちょっとこっちに来てて……」
「……ジュードと何かあったな?」
「ギクッ」
 声に出してしまった。うっかりさんだ。私ったらー、とボケてみるけれど長年の付き合いであるアルヴィンの前ではそんな態度を取ったって無駄だった。そりゃまあ、生まれたときからの幼馴染みですからね。
「というわけでジュードの家に荷物全部置いて来ちゃったから、泊めてアルヴィン」
「ふてぶてしいな」
「ふてぶてしくあれとジランドおじさんに教わりました」
「余計な知恵与えやがってあの野郎!」
 まあ実際のところ、ふてぶてしくなかったらエレンピオスでは生きていけないし、リーゼ・マクシアでも生きていけなかっただろう。生に執着し、貪欲にならなければ死ぬ。ただでさえエレンピオス人というのはリーゼ・マクシア人よりも競争意識が高い。ルドガーを見ているとそんなことなさそうに思えてくるが、あれは本当にレアケースだ。
「で? 喧嘩の理由は?」
 トリグラフの街並みを並んで歩きながらアルヴィンが聞いてくる。こういうとき、私たちの関係は便利だ。本当に踏み込んで欲しくないところには踏み込まないけれど、踏み込み辛いところには躊躇いなく踏み込める。私はしばらく困ったような素振りをするだけして、足を止めることなく口を開いた。
「それでは回想いってみましょう、ホワンホワンホワンエクシリア〜」
「ふざけてる場合じゃねぇだろ」
 回想導入、チョップ一発で動作停止。仕方ない、そういうこともあるよってことで。
「普通に口喧嘩しちゃっただけ。最初は仕事の話してたんだけど、ジュードがあまりにも他の女の話をするからイライラしちゃって……うん、思い返せば私が悪かったんだけど、でもなんか、引き下がったら負けだと思っちゃったから……」
「他の女? 何、ジュード浮気でもしたの?」
「違うって。ほら、ジュードの職場にいるじゃない。開発者の……」
「……ああ、あのコか。確かにありゃ恋愛感情とかそういうやつじゃねーよな。つか、ジュードに限ってそんなことはないってお前が一番解ってんだろ」
「うっ、そりゃそうなんだけど」
 惚気る前にアルヴィンに指摘されてしまった。まあ実際、その通りなのでありますが。百二十パーセントの惚気。私はジュードが好きだし、ジュードは私が好き。多分、それは一生変わらない。ていうかこれだけ散々ジュードに人生を変えられておいて今更ジュード以外の人間を好きになる自分とか想像つかないし。……できれば、ジュードの方もそうだったらいいな、とか思うんだけど。
「私たちは一緒に旅をして、世界を救った仲間だけどさ。でもやっぱりジュードは研究職で私はそうじゃないから、ずっと一緒にいることは難しい。でも、それを理解した上でこの関係を続けてる……のに、私が一方的にイライラしちゃって……うっ、思い返せばどんどん虚しくなってくる……」
「なら謝りゃいいんじゃね、って言いたいとこだけど……ま、謝れたらこんなことになってねーわな」
「そうなんだよ……キレちゃった手前頭を下げたら負けだと思っちゃって……うぅ……私が……私が悪いのに……」
 考え始めたら頭クラクラしてきた。自覚はしているし理由も解っている。分析は得意だ、だってそういう生き方をしてきたんだから。
 アルヴィンに手を引かれて駅前のベンチに座る。夕焼けに照らされるトリグラフの街並みを見ていたらなんだかノスタルジーというか、こう、言語化しにくい感情が浮かんできた。勝手に零れてくる涙を手の甲で拭う。あーあ、バカみたいだ。ていうかバカ。いくらエレンピオス人が競争意識が高いからって、こんなことで勝手に傷付いた上にジュードを悲しませるようなことをするなんて。
「うぐ……」
「おうおう、我慢しないで泣いとけ。お前もジュードも、普段から頑張りすぎなんだよ。お前らにはお前らにしかできないことがあんのは解るけど、もうちょっと会う時間増やしたってマクスウェルのじーさんも何も言わねぇって。会わないのを理由に喧嘩して手が止まっちまったら本末転倒だろ」
「そう……だね。うん。解ってる……」
「で、話は戻るけどよ。ジュードは何の話をしたんだ?」
「取り留めない話だよ。今日やってた実験の成果に始まって、協力してくれる精霊たちの話とか。で、その流れであの子が担当してる実験をベタ褒めしてしばらく話し続けるもんだから、私がカッとなって『他の人の話しないで』って言っちゃっただけ」
「あ〜……そりゃ、まあ……」
 どっちもどっちだな、と言いたかったのだろうがアルヴィンはその言葉を飲み込んだ。
 ジュードはただ仕事の話をしただけなのに、過剰反応して文句言っちゃった私も悪い。でも、私といるのに他の人を褒めるような話ばっかりしてるジュードだってある程度非はある……と思う。うん。まあ七対三で私が悪いと思うけど。
「ま、今日は俺が泊まってるホテルで休めよ。流石に明日の朝になったらごめんなさいできるだろ」
「子供扱いしてない?」
「バーカ、俺からしちゃはいつまでも妹みてーなもんだよ。ちょっと待ってろ、アイス買ってきてやるから」
 アルヴィンは私の頭をぐりぐりと乱暴に撫で回して、ベンチから立ち上がった。向かいにあるアイス屋のワゴンはそろそろ店じまいの時刻だろう。話している間に夕陽はだいぶ傾いて、あと三十分もすれば空には一番星が昇ってくる時間になっていた。会計をするアルヴィンの背中をぼんやりと見ながら、溜息を零す。
「ジュード……」
 ぽつりと呟いた名前に、心が苦しくなった。あーあ、早く謝れば良かった。ジュードと出会ってから五年くらい経ってるけど、流石に喧嘩したことくらいある。それで、喧嘩する度に同じようなことをやってしまうのだ。もちろん、わたしじゃなくてジュードが出て行ってルドガーの家に飛び込んでいくこともあるけれど。
 まあ、人間なんて完璧な存在じゃないし、たまにはこういう日だってあるだろうけどさ。
 夕焼けが目に染みて、ぽろりと涙が零れ落ちた。膝の上に落ちていく涙を見送って、それからぐしぐしと自分の目を擦る。エリーゼや生徒たちには見せられないような顔してるなぁ、これ。そんなことを思いながらも涙が止まらない。アイスを食べたらきっと塩味になってしまう。
――なんて、思ってたら。
っ!!」
 名前を呼ばれて、がばっと抱きしめられた。誰って、言うまでもない。
「ジュード……?」
 よっぽど走ってきたんだろう。いつも柔軟剤の匂いがするのに、今は汗の匂いがした。背中に回った腕がぎゅうううっと力を込められる。目元に遣った手を伸ばして、ジュードの頭を軽く撫でた。
「ごめん、僕、」
 ぜぇぜぇと荒い息を吐きながらジュードが言う。研究職とはいえ、彼は私たちと一緒に世界中を飛び回った人だ。しかも格闘家。私なんかより体力はいっぱいあるはずなのに、その彼がこんな風に息を切らすなんて。
「……とりあえず一旦座れば?」
「うん……そう、する……」
 思ったより人目がなかったのが幸いだった。ジュードは名残惜しそうに私から離れると、そのままストンとベンチに腰を下ろす。なんだか、いつぞやの夜のことみたいだ。
「お? 何だお前ら、俺がアイス買ってくる間に仲直りしたのか」
「それはこれから」
「ていうかアルヴィン、なんでここに?」
「仕事だよ、優等生。しゃーねぇ、こっちのアイスはお前にくれてやるから、そのままちゃんと仲直りしろよ。じゃー、また今度な」
「え、あ、うん。……ごめん、ありがとアルヴィン。助かった」
「おーおー。ったく、あんま無茶すんなよ?」
 二つのアイスを私たちに手渡して、アルヴィンはそのまま夜の帳が降りかけている街へと消えていく。その広い背中を見送ってから、私は少し溶けてきたアイスに口を付けた。
「食べてからにしよっか、溶けちゃうし」
「う、うん」
 気付けばアイス屋は完全に閉店していた。街灯が輝き始める中、人通りはすっかり減っている。ベンチに二人並んで二段のアイスを食べる私たちは、状況のせいか完全に落ち着いていた。元々私もジュードも沸点は高い方だが、冷めるのも早い。正直アルヴィンに会ったあたりではもう自己嫌悪モードに切り替わっていたくらいだ。
 コーンまでしっかり食べ終えたところで、ちらりとジュードの方を見る。アイスが指に垂れてこないよう真剣になっている姿を見て、思わず笑ってしまった。
「……何笑ってるの、
「ごめんごめん、ジュードが可愛かったから……」
 私の言葉にジュードはぷくりとほっぺたを膨らませる。もう二十歳になるっていうのに、彼の容姿は思ったよりも成長しなかった。背は私より高くなったけど、アルヴィンを抜くことはできず(しかしルドガーのことは抜いた)(ルドガーは泣いていた)。ジュードはそのまま手にしたアイスに舌を伸ばし、ぺろりとバニラを掬い取った。
 ジュードが最後まで食べ終えたのを見て、私はちいさく息を零す。ん、先手必勝。先制攻撃はモットーだ。
「ごめんね、ジュード」
「僕の方こそ……ごめん。せっかくと過ごせる休みだっていうのに、その……」
「んーん、本当はジュードの話、色々聞きたかったんだよ。なのに私がちっぽけなことで捻くれて、勝手に飛び出した。ごめんね」
「もう……僕にも謝らせてよ、
「いーの、今回は私が悪かったんだから。それに、私を探して色々走り回ってくれてたんでしょ? それだけでじゅーぶん、満足だよ」
 コーンを包んでいた紙を手の中で丸めて、ジュードにぎゅっと抱き着いた。
「どこ探した? ルドガーのとこ?」
「ルドガーのとこ、レイアのとこ。あとクランスピア社の中も確認したし……すごい、走り回っちゃったよ」
「ありがと、探してくれて」
「当たり前でしょ。が飛び出していったとき、本当にびっくりして……早く謝らなきゃと思って追いかけたのに、足速いんだもん。僕そんなに体鈍ったかなぁ……ずっとデスクワークしてたせい?」
 不思議そうにジュードが自分の足に視線を落とす。ずっと座りっ放しで色々な研究してるんだもんなぁ。下手したら生徒たちと一緒にリーゼ・マクシアの自然の中を走り回っている私の方が体力衰えてないのかもしれない。
「今度、一緒にトレーニングしようよ。ニ・アケリアの山頂までダッシュ十本」
「うわ……すっごいキツそう。でも、と一緒ならやれる気がする」
 ジュードがこちらを見てくすりと笑う。やっぱりそういう顔してた方がいいな、なんて、困らせてしまった私が言うべきことじゃないかもしれないけれど。
 周囲に完全に人影がないことを確認して、そのまま彼の唇に触れるだけのキスをした。蜂蜜色の瞳がチカチカ瞬いて、驚いたようにこちらを見遣る。
「……さて、帰ろっか!」
……」
「そろそろ外じゃ寒くなるし。ね、ジュード?」
 ジュードの手から紙ゴミを奪い取って、二つまとめて近くのゴミ箱にシュート。かさかさと音を立ててゴミ箱に入ったのを見届け、今度は彼の手を取る。まだ走って体温が上がったのが残っているようで、その手は温かかった。
 二人並んで暗くなったトリグラフの街を歩く。目の前に見えてきたアパートは、ジュードの部屋だけ明かりが消えていた。



2019.12.26 柿村こけら
唯奈さまリクエストありがとうございました!


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