ああ例えそれが運命だとしても

03:甘さ控え目、苦さは倍増

 なんで、と響也くんが零した。その腕はだらんと垂れ下がったままで私の背に回ってくることはない。
「俺、に酷いことしたのに」
「……もう気付いてると思うから言うけど、私、オメガなんだよね」
 先制攻撃。迎撃するのは私のキャラじゃない。
 これを先に言ってしまえば、悪いのは響也くんじゃなく私になる。例え手を出したのがアルファの響也くんでも、きちんとヒートを管理できなかったオメガの私が悪いと、そういうことになる。
 もちろん、この一件をどこぞに持ち込もうなんて気は元より私にはないし、話し合いで解決する程度のことだ。
「だから、悪いのは私なの。ヒートを管理できなくて、私が勝手に響也くんを煽った、それだけ。だから響也くんは気にしないで。……今度からは気を付けるし、オメガが邪魔ならクビでもいいよ」
……っ、そうじゃない、そういうことじゃ……!」
「じゃあどういうこと?」
「……それは、俺が……」
 に無理矢理、したから。
 掠れそうな声で響也くんは言った。解っている。響也くんは自分に責任を感じるタイプの人間で、アルファだからといってオメガを見下したりなんてしないって。
 けれど彼は役者で、私なんかとは立場が違う人間なのだ。ファンからの愛称は響様で、王子様みたいな人。その上アルファだってんだから、例え彼が朝日奈真の実の息子でなかったとしても完璧に近い人間であることに変わりはない。
「響也くん」
「うん」
「響也くんが私を見過ごしてくれるって言うなら、私も何もしない。きみの指示に従うし、ヒートだって……もうこんなことがないようにしっかり管理するよ。ただでさえ夢色カンパニーは男性キャストしかいない場所なわけだし、私の徹底が足りてなかった」
「そんな言い方……! 例えがオメガで、たまたまヒートが抑えられなかったんだとしても、俺がその誘惑に負けたのは事実だよ。だからは俺のこと責めたっていい!」
「できないよ。……だって私、オメガだから」
 アルファの奴隷。
 多くのオメガは、そういった価値観を世間から植え付けられて生きている。種を育てるための人間。ここまでアルファにぱっくり食べられなかったのが不思議なくらいだ。
 響也くん、ともう一度彼の名前を呼ぶ。夕焼けはすっかり終わっていて、夜の帳が公園に下り始めていた。
「……解った」
 やがて諦めたように響也くんは頷いた。でも、と私の肩を掴んで彼は続ける。昨日とは違う、真っ直ぐな瞳が私を見つめていた。
「昨日の記憶は、正直言ってあんまりないんだ。だけど、多分……ううん、ちゃんと言う。のこと嫌いだったら、いくらオメガの匂いだからって釣られたりしないよ」
「響也くん、」
「まだ、気持ちの整理がついてないけど……もしまた俺が君を襲うことがあったりしたら、容赦無く殴っていいから。ヒートが辛かったら休んでいいし。……俺がのこと、大切にしたいんだよ」
 仲間だから、と彼は最後に告げて。
 帰ろうか、といつものペースに戻って私を見る。
 その頭上に煌めく星はひどく冷たい色をしているように感じた。
 それから響也くんに自宅マンションまで送ってもらって、私はすぐにエレベーターで自室に上がった。頭がくらくらするのは頓服の効果が切れてきたからだろう。強い薬は反動も大きいから極力使いたくないんだけど。でも、さっきまで響也くんは私と普通に会話できていたし、頓服を服用しただけのことはあったということだ。
 オメガのヒートは一週間続く。今日で二日目だから、あと五日。五日間ぶっ通しで頓服を使うのはちょっと躊躇うところがあるので、響也くんのお言葉に甘えて明日と明後日は顔を出さないでおこう。幸い、今作りかけの衣装はないし。普通の薬で本業の方は乗り切れると思うから。
「それにしても……仲間、ねえ……」
 冷蔵庫から冷えた野菜ジュースを取り出し、グラスに移して一気に嚥下する。でかでかと鉄分! と書かれたパッケージを一瞥して元の場所に戻した。
「仲間に向ける目じゃなかったよ、響也くん」
 明るいミルクティー色の前髪の奥、ヘーゼル色の瞳には確かに炎が灯っていた。それは舞台の上で真剣に演技をしているときの熱とは違う種類のものだ。単純に言ってしまえば征服欲だし、下世話な言い方をすると性欲。あのときの響也くんは、確実に私を食べるつもりだった。理性も何もかもトんでしまうのがオメガの誘引だ。アルファは為す術もなく、とにかくオメガを孕ませることだけを考えるようになる。とんだ媚薬もあったものだと自嘲するけれど笑い事じゃない。
 とにかく身体がだるくて、一秒でも早く眠りたかった。ヒートを薬で無理矢理抑え込んでいることもあってか身体の中はまるで溶解炉のようだ。シャワーは明日の朝に浴びることにして、私は着ていたものを手早くベッドサイドに脱ぎ捨てるとパジャマに着替えてシーツと布団の間に身体を滑り込ませる。
 おやすみなさい。

 ヒート最終日、少し悩んでから私はいつもの抑制剤を飲んでカンパニーへ向かった。響也くんからは残りの期間ずっと休んでいてもいいと言われたけれど、最終日だから確認しておきたかったのだ。
 果たしていつもの抑制剤はちゃんと効いているのかどうか。
 こちらを服用して頓服は使わずに本業の方に勤しんでいた四日間であったが、特に問題はなかった。そもそもしてアルファの数が少ないから客にも滅多にいないということもあるが、ただのベータを誘惑することもなかったし効いているということだろう。問題はアルファ――朝日奈響也だ。
「あ、おはよう。調子はどう?」
 裏口からカンパニーに入るやいなや、ちょうどそこには響也くんがいた。荷物運びをしていたらしく、大きなダンボールを抱えている。
「うん、大丈夫。手伝おうか?」
「いや、平気だよ。それより陽向に次の公演の資料渡してるから、そっちの確認に行ってもらっていいかな? デザイン始めるって言ってたし」
「解った。ありがとう響也くん」
 じゃあまた、と言って去っていく彼の背を見送る。……大丈夫、だったみたいだ。
 そのまま響也くんに言われた通り陽向くんの楽屋へ向かう。彼の部屋に入るとそこには仁さんもおり、二人でまどかちゃんの書きさしの脚本片手に議論を交わしていた。
「だからさ、ここはダンスのシーンが入るでしょ? だったらやっぱり裾がひらって舞った方がいいと思うんだけど……って、おねーさん、来てたんだね。久し振り」
「長々休んじゃってごめんね。新作のデザイン?」
「ああ。ダンスの振り付けに合わせてもらってるところで……あの、ちゃん」
「はい?」
「香水変えた? 前より甘い匂いだけど……あ、似合ってないとかじゃないよ。キュートで可愛い香りだ」
 さらっと褒め言葉を付け足す仁さんは流石だなと思いつつ、私は首を振る。香水はしていない。商売上、売り物の布が匂いを吸ってはいけないから控えているのだ。
「してない、ですけど……」
「そっか。じゃあシャンプーとかの匂いかな」
「ちょっとジンちゃーん、女の子の匂い言及するのはちょっと変態くさーい」
「……言うね、ヒナ」
 陽向くんの頬をぐにぐにと摘む仁さんに対して曖昧に笑ってから私は陽向くんの隣に腰を下ろす。
……甘い、匂い。
 それはきっと――ヒート時特有の、誘引効果の香り。
 でもさっき響也くん、そんなこと言わなかったのに。……我慢していた?
 そんな思考がぐるぐると私を包囲して、曖昧な気持ちのまま私は脚本を開いた。



2016.07.30 柿村こけら

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