朝と冬のあいだに
05:冷たい手でもいいよ
今日は朝からアートシアターつばさに出勤。明日は夢色カンパニークリスマス公演の千秋楽だが、ぶっちゃけ私の仕事は衣装を縫い終えた時点で八割方終わっている(本番のときに衣装着替えのアシストに入ることもあるが、必ず、というわけではない)ので、ジェネシスの仕事が一段落するまで私の職場はこっちだ。もちろん陽向くんや響也くんから確認事項とかで呼び出しがあるのなら、そちらを優先していいことになってはいるが。
「よし、っと……」
到着して早々、私は作業部屋のレイアウトを確認する。昨日家に戻って、備品のリストアップは簡単にやってしまった。仕事のことでも考えないと頬の火照りが引いてくれそうになかったからだ。イルミネーションの明かりに照らされた黒木さんの横顔を脳裏から追い出して、私は位置取りの確認をし直す。持ち込んだノートパソコンで欲しい備品のホームページや販売サイトのリンクを貼ったリストを作成し終えたところで、灰羽さんのアドレスに送信。作業室に鍵をかけ、私が向かったのは事務室だ。
「おはようございます」
「はい。おはようございます、さん」
「備品リスト、今メールでお送りしました。今お時間頂けますか?」
「大丈夫ですよ。そうだ、こちらもついでに。今日の採寸スケジュールです。時間になったらこちらの……第一レッスンルームというところに行ってください」
言いながら灰羽さんはカチカチとマウスを操作してメールの画面を開く。添付されていたファイルを開き、軽くスクロールして確認をしてくれた。
「……わざわざ参考価格まで。すみません、お手数をおかけしてしまって」
「いえ。手芸関係の備品って、専門職じゃないとよく解らないことも多いと思うので。その分、棚や収納などは灰羽さんに一任するかたちになってしまって、申し訳ないです」
「ここまでやって頂ければこちらとしても助かります。本日中に全て発注しますので、今日は採寸や、できる作業を中心にお願いします。退勤時間は十七時で……退勤の際はこちらにタイムカードがありますから、これを使ってください」
「解りました。では、また採寸の際に伺います」
ぺこりと頭を下げ、灰羽さんの机を離れる。事務室を出ようとしたところで、反対側からドアが押し開けられた。
「あっ」
「……おはよう、」
流石に一緒に通勤するのは、ということで私は黒木さんより先に家を出た。ほんの二時間前にしたばかりの挨拶が繰り返される。黒木さんは表情一つ変えず、いつも通りの黒服に身を包んだまま。……いけない、平常心、平常心。
「おはようございます、黒木さん」
それだけ告げて、彼の横を通り抜けて廊下へ。余計なことを言ったら灰羽さんに何か勘付かれそうだったし、ここではこれくらいの距離感がちょうどいい。渡された採寸予定表に視線を落として、脳みそを仕事モードに切り替える。レッスンの合間を縫って行われる採寸作業では、夢カンで採寸をするときに使っているリストをそのまま使わせて頂くことにする(陽向くんの許可は得てきた)。灰羽さんに頂いたデザイン画に合わせて、他にも色々確認すべき場所がありそうだ。採寸が始まるまでは時間があるので、その間に布の選出作業。これまたお預かりしている脚本に目を通す。デザインだけ見てたって、いい衣装は仕上がらない……というのが私の見解だ。当然情報解禁前の作品であるので部外者に話すことはできないが、ジェネシスの――染谷さんの書いた新作脚本は、やっぱり面白かった。まどかちゃんがライバル視するだけある。ジェネシスのイメージに沿ったダークなテーマに、ところどころ個人のキャラクターを引き立たせるような流れも入っている。夢色カンパニーに入団して、ずっとまどかちゃんの脚本を読んできたけど……染谷さんのそれは、まどかちゃんとは似ているようで、違う。違う脚本家なのだから話の組み立てが違うのは当たり前なのだが、そうじゃなくて、もっと深いところで……違うのだ。私にもっと語彙力があったら綺麗な言葉にできるのかもしれないが。
「このシーン、れいくんの見せ場になる……だったらこの衣装は素材を変えて、少しでも動きやすく、かつ光るように……とは言え光を当てすぎたらダメだな。調整して……」
ぶつぶつ言いながら赤ペンをメモに走らせていく。普段は陽向くんと二人でやることが多い作業であるだけに、一人で衣装を作っているときはどうにも独り言が大きくなりがちだ。家でコス衣装作ってるときもこんな感じだから、もうすっかり癖になっているのかもしれない。
私は衣装を作るとき、どれだけ元デザインを忠実に再現できるかに重きを置いている。けれど再現だけではダメだ、とも思っている。二次元と三次元は違う。コスプレ衣装は、大抵の場合二次元のデザインを三次元に起こす。当然、立体感や着用感などが加わるわけで、そこを失っては写真映えやキャラクター性以前に、「服」として成り立たないと思っているのだ。どれだけ華美な衣装を作っても、素材にこだわりすぎて衣装が重くなって、動けなかったら意味がない。ミュージカル衣装はコスプレ以上にそこが重視される。だって彼らは、この衣装を着て、歌って踊るのだから。それに上演中は何度も着替えを行うから、簡略化できるところはしなくてはならないし。例えばベストなら、ベストそのものを作るのではなくシャツとベストが一体化したデザインにして、ボタンではなく特殊な接着パーツを使って脱ぎ着をしやすくする必要がある。時間は有限だ。私にできるのは、彼らがより動きやすくなるための衣装を前もって準備しておくことだけ。
今回頂いているデザインも、服として作るだけならいくらでも凝ることはできる。デザイン通りの複雑なパーツだって、私なら作れるだおる。けれどそれじゃダメ。ダメだから――灰羽さんや黒木さんは、私に依頼をしてくれた。
「……っと、もうこんな時間か」
机の上に置いてあるスマホを見遣れば、最初の採寸の十分前になっていた。バインダーとペン、それからスマホとメジャー……使う物をポシェットに突っ込んで作業部屋を出る。いくつかあるレッスンルームのうち、一番手前の部屋。ノックをすれば、聞き慣れた声が返ってきた。
「おはようございます、さん! 採寸ですよね?」
「うん、おはようれいくん。皆さんも、宜しくお願いします」
私を迎えてくれたのはれいくんと、それからアンサンブルのキャストたちだった。部屋の隅では練習着に着替えた灰羽さんがタブレット端末を片手に作業をしているが、私に気付くと顔を上げてくれる。
「じゃあ順番に採寸していきますね。灰羽さんから皆さんの簡易データを頂いているので、お名前あいうえお順に並んでください。……あ、ごめん、れいくんと……赤木さん、こっち来てもらえるかな?」
「解りました!」
ぴょこぴょことバター色のふわふわした髪の毛を揺らしながられいくんが私の隣に来てくれる。その後から、一番名前の早い赤木さん。彼はジェネシスのアンサンブルの一人だが、主役を張れる実力もあるキャストだ。
私の手にしたバインダーには、事前に灰羽さんに頂いた個々人のデータを入れ込んだリストがある。名前と身長体重、それから顔写真。履歴書みたいなレイアウトのそれらから、れいくんのファイルを取り出して一番上に挟んだ。
「採寸は私が行います。採寸している間、隣の人は私が読み上げる数値をこの紙に記入していってください。上から埋めていけばいいだけなので、特に難しいことはありません。じゃあまず、れいくんを採寸するから、赤木さんは記録の方をやってもらえますか?」
「はい」
「採寸は僕からですね。お願いします、さん!」
れいくんの採寸はシャッフル公演の際に一度行っている。彼は私の前に立つと、両手を伸ばして私の方に向き直った。私は早速れいくんの身体にメジャーを回し、上から順番に色々な数値を計測していく。計測順は予め決めてあるので、記入の方は混乱することもない。書くのも数字だから、専門知識が必要ってわけでもないし。
一度やり方を見せれば、みんなすぐに覚えたらしく、採寸はかなりスムーズに進んでいく。やっぱりそこは、ジェネシスの一員であるということだろう。黒木さんは無駄を厭う。そんな彼の審査を通って入団したキャストたちなら、この程度できないわけがない。
「にしてもさん、意外でしたよ」
全員の採寸を終えて、レッスンルームに残った灰羽さんが言った。私は床に書き終えた紙を衣装ごとに並べ替えてつつ灰羽さんを見遣る。彼は相変わらずタブレット端末に何かを書きつけているようだ。
「てっきり、採寸はお一人でやるものかと思っていました」
「以前はもっと非効率的でしたよ。でも、夢色カンパニー全体のキャストが百人と少しに対して衣装スタッフは三分の一にも満たない。でしたらフォーマットをきちんと作成して、作業を効率化していかないと。ただでさえ縫製は時間がかかるんですから」
「……さんって、案外効率を重視されるんですね? ああ、悪い意味でなく。夢色カンパニーはおおらかなかたが多いですから。てっきりさんも、そういうタイプかと思っていたんです」
「そりゃコミュニケーションは取るべきだと思いますし、雑談なんかで仲良くなるのも大切だと思います。私は確かに夢色カンパニーの一員ですが、締められるところは締めていかないと。自由気ままなのはいいことですが、時間を食い過ぎるのも問題ですからね」
言いながら手を動かす。夢色カンパニーはキャスト仲がかなり良いし、だからこそ雑談が捗ってしまう。それは悪いことではないかもしれないが、さっきも言ったように時間は有限だ。できるところはどんどん手をつけて、作業時間を切り詰めないと。
「以前、仕出し弁当を選ぶのにとても時間がかかったことがありまして」
「へえ?」
「最終的にまどかちゃんが、全員の好きな物を具材にしたおにぎりを作ることで解決したんですが。食の好みって、どうしても人によってバラけるじゃないですか。陽向くんが激辛弁当が良いって言っても、私とカイトさんはそれ頼まれたら実質お昼抜き宣告をされたも同義ですし。そりゃ好物が入った弁当の方が、公演に対するモチベーションアップにも繋がるとは思いますけどね〜」
その辺、やっぱり蒼星くんがやった方が効率がいいんだな、とあのときは思った(生憎『ゴールデン・ミラージュ』を演っていたとき、私は本業だった手芸屋の繁忙期で不在だったため、話自体は後々伊織くんから聞いたものだったが)。蒼星くんは翌日のコンディションと各自の好みを全部考えた上で仕出し弁当を発注している。アレは蒼星くんでなくてはできないことだったのだろう。……まあ、今は新規で雇われた事務スタッフがその辺のノウハウを蒼星くんから伝えられているので、ちょっと違ってくるが。
「さんだったらどんな弁当を発注するつもりだったんですか?」
「幕の内弁当です」
「即答ですね」
「ええまあ。流石に毎日幕の内弁当、というわけにはいきませんが……定番じゃないですか、幕の内弁当。そりゃ嫌いなおかずも入ってはくるかもしれませんが、少なくとも食べられないということはありませんし。百人も団員がいるんですから、平均を……『普通』を選ばなきゃいけないんじゃないでしょうか」
なんならチキン弁当でもいい。個より全を取らねばならないときだってある。ただでさえ、メインキャストの七人の食の好みが似通わないのだから、百人に拡大したら悪化するだけ。勝負オムライスは主演に選択権があるので別とするが。
「じつにシンプルで、的確な回答だと思いますよ。選ぶ弁当の種類は違うかもしれませんが、私や黒木でも同じ考え方をするでしょう……っと、すみません。お時間を取らせてしまって」
「あ……いえ、やりながらですし大丈夫ですよ。採寸お疲れ様でした、灰羽さん」
「はい。ありがとうございます、さん」
……食えない人だなあ。
なんて思いながら廊下を出て作業室へ。今取ったばかりのデータを衣装ごとにファイルに閉じてインデックスを付ける。……効率が良くて損することって、早々ない……と、思う。実際、効率が良いのと悪いのだったら圧倒的に前者の方がいい。無駄は徹底的に省くべきだと……そう、思っているけれど。
「うぅ……しまった、喋りすぎた……」
つい本音を言ってしまった。灰羽さんならまあいいか、と思ってしまったのは事実だが、それにしても少しばかり性格が悪かったなあ、とは思う。極端な効率化は顰蹙を買うことがあるって解ってるんだけど、つい……。
「……って、言ってても仕方ないか。悩んでるのも無駄だし作業やんなきゃ」
ファイルを机の片隅に並べて再び赤ペンを握る。次の採寸は三十分後。少しでもこっちの作業を進めておかなくちゃ。
「よし、できた。こっちの処理は明日にして、えっと、採寸が……」
時刻は十七時を少し過ぎたくらい。残業代は出るので問題ない、と思いつつリストを見る。採寸がまだのキャストはあと一人……黒木さんだけだ。
昼前の一件は地味に引きずっているが(ホント、喋り過ぎた)、そんなこと考えている場合ではない。再び部屋を出、すっかり通い慣れてしまったレッスンルームへ向かう。ノックをしても返事がないのでドアを押し開けると、意外にも中に人はいなかった。黒木さんはまだ到着していない、ということだろう。ひとまず部屋の隅にあった椅子に腰かけ、持ってきた別の資料を広げる。生地のサンプルが並んだファイルとにらめっこして、イメージを膨らませていく。主演の湧太郎さんはダンス以外にもアクションシーンがあるからこの布がいいだろうか。でも飾りはもうちょっと考えたい。……んー、明日はパターン起こしかなあ。布を見には行きたいが、その前に必要量とイメージの確定をさせなくちゃ。
なんて思っていたら、少し早いノックの音。はぁい、と声をかけると黒木さんが入ってきた。
「遅れてすまない」
「いえ、大丈夫ですよ。じゃあ早速採寸、やっちゃいましょうか」
立ち上がって椅子を引っ張り、その上にバインダーとペンを置く。さっきまでは二人一組が作れていたが、一人だけだとそうもいかない。レッスン着の黒木さんに立ってもらって、メジャーを片手にサイズを測っていく。測って、書いて、また測って。さっきまでは複数人を一気に採寸していたから、測っている間、他のキャストたちの会話が耳に入ってきていたんだけど……今はそれがない。二人しかいないレッスンルームにあるのは静寂。たまに、私がペンを走らせる音。
「はこれで上がりか?」
「はい、そうですよ。黒木さんは……」
「俺は少しやることがある。すまないが、先に帰っていてくれるか。駅までは灰羽が送る」
「え、」
悪いですよ、と言おうとして、昨日もそう言って灰羽さんに押し切られたことを思い出す。同じ会話を繰り返す必要はない。それに、昨日の黒木さんだってアートシアターつばさの最寄駅まで送った、ということになっている。決して同じ家に帰るからと送ってもらったわけではない。
「灰羽はこの後取引先と会食で出かける。駅までは同じ道だし、が気にする必要はない」
「あ……すみません、気を遣わせてしまって」
「こちらこそ……すまない」
「そんな、黒木さんに謝って頂くようなことは、」
「いや、そうではない。実は先程灰羽に、が少し疲れているように見えたからフォローを頼むと言われた。だが……朝日奈なら、もっと上手く、言えたのかもしれないが」
赤い瞳が逸らされる。黒木さんは上手いことオブラートに包んでくれているが、灰羽さんの真意はすぐに解ってしまった。効率化云々の問答の後、私が少し言い淀んだことに気付いているのだろう、彼は。
「気にしないでください。私がちょっとその、上手くできなかっただけで。むしろ、黒木さんも灰羽さんもお忙しいのに私に時間を割いて頂いて、申し訳ないくらいなんです。お言葉だけで十分嬉しいですよ。……それに、その。黒木さんには沢山ご迷惑をおかけしてますし……」
「……そう、か。解った。こちらこそすまなかった」
そう告げると、黒木さんは脱いでいたパーカーを拾い上げ袖を通す。私もボールペンをバインダーに挟むと、置きっ放しにしていた布の資料を手に取った。
「帰りは二十時少し前になると思う」
「解りました。黒木さんも、気を付けてくださいね」
「ああ」
ではまた、と言って黒木さんはレッスンルームを出ていく。……やっぱり、申し訳なかったな。
落ち込みはするけれど考えている時間はやっぱり勿体ない。急いで作業室に戻って机の上を片付ける。コートを羽織ってタイムカードを切りに事務室に行けば、ちょうど灰羽さんもマフラーを巻いているところだった。
「ああ、丁度良かった。黒木くんから話は聞いてますね? 駅までお送りします」
「ありがとうございます、灰羽さん」
カシャン、とタイムカードが機械から吐き出される。一番下の段、、と新しいラベルが貼られたところにカードを差し込んで外へ。モールに併設されたアートシアターつばさは、駅までそう離れていない。
「灰羽さんはご移動、電車なんですか?」
「いえ、タクシーを使います。うちで電車を使うのは藍沢くんくらいですね。白椋くんはご両親の希望でハイヤー移動ですし、朱道くんはご自分の車を使うことが多いでしょうか」
「え……そう、なんですか?」
「はい。私と黒木くんも大抵タクシーですよ。もちろん電車も使いますが……黒木くんは存在感がすごいですから。電車で隣の席に黒木くんが座ってる図、正直なところ違和感ばかりで想像しにくいです」
……。
…………。
………………えっ?
隣を歩く灰羽さんが「夢色カンパニーの皆さんは電車移動が多いんですか?」と質問してくれているのは解ってるが、私の脳みそはグルグル高速回転してるみたいでロクな反応を返せなかった。そうですねー、なんてざっくりした返事をしてごめんなさい。
だって。
昨日の帰り道、黒木さんは――当然のように、電車に乗って、いたのに。
そりゃ黒木さんだって電車に乗ったことがないなんてことはなかろう。味噌汁を飲んだことがなくたって、電車の乗り方くらいは知っているはずだ。でもそれとこれとは話が別。
「それではさん、お疲れ様でした」
「はい。灰羽さんもお疲れ様です」
なんとかそれだけ返して、私はマフラーに口元を埋めて改札を通る。黒木さんは、わざわざ私に合わせてくれたのだ。夢色カンパニーのキャストは案外電車で移動することが多い(カイトくんは結構タクシー使うけど)。変装してれば意外とバレないって蒼星くんが言ってた。だから私もそれに慣れてしまっていた。ブロードウェイで仮面ダンサーとして一躍有名になり、帰国後はテレビにも多数出演している黒木さんがその辺りを気にしないわけがない。それどころか、煩わしい満員電車なんかに乗るくらいならタクシーで移動した方が建設的で、効率的だ。ああ、もう。私……バカじゃないか。
「とりあえず黒木さんが帰ってきたら、謝って……」
明日以降の帰りについては考えるとしよう。帰宅時間をズラす方が良さそうだ。じゃないと黒木さんに申し訳なさすぎる、なんて思いながら私はスーパーで買ってきた食材を切り分けていく。……あ、じゃがいもちょっと多かったな。材料を切り終えてフライパンに突っ込んで、ついでにチーズをのせて、あとは蒸し焼き。その間に包丁やボウルやらを洗っていく。
「……我ながらクリスマス感のない夕食だなあ……」
焼けたじゃがいものガレットを見下ろして一息。せめてケーキでも買ってくるべきだったかなあ、なんて思いながらガレットを切り分ける。一人分にしては随分多くなってしまったので明日のお昼ご飯にでもするか……冷めても食べられるし。
ここ数年、クリスマスはいつもクリスマス公演の千秋楽がぶつかって打ち上げという流れになることが多かったから、久々にクリスマスを家で過ごしている気がする。や、自分の家ではないのだが。思いっきり他人の家だし……と申し訳なさがそろそろ天元突破しそうだな、というところでガチャリと玄関の開く音がした。ガレットを切り分けていたフォークをお皿の横に置くと席を立った。あ、エプロンしたまま……まあいっか。今更だ。
「黒木さん、お帰りなさい」
「。……料理中だったか? すまない」
「エプロン外すの忘れてて。料理はもう終わってるので、大丈夫ですよ」
黒木さんが靴を脱ぎながら、そうか、とちいさく呟く。その表情に変なところはなく、いつも通りの黒木さんだ。でも、だからこそ……帰り際に灰羽さんに言われたことを思い出して、申し訳なさが増していく。
「あの……黒木さん。昨日はすみませんでした。黒木さん、普段はタクシーで帰ってるって伺って。私に合わせて電車にしてくださったんですよね?」
「ああ、そのことか。構わない。同じ家に帰るというのに、わざわざ別に帰る必要もないだろう。それに、俺は……」
何か言いかけて、黒木さんはハッとしたように少しだけ視線を泳がせ、それから「いや、」としっかりした声で打ち消す。
「何でもない。とにかく、帰りについては気にしないでくれ。明日以降も帰る時間が重なったら、と一緒に帰っていいだろうか」
「私は構わないですけど……大丈夫ですか? その、よくよく考えなくても黒木さんは有名人ですし……公共交通機関だと、色々とあるのでは?」
「周囲をある程度警戒していれば問題はない。それに、昨日はと帰ったお陰でイルミネーションを見ることができた。実は今日、あのイルミネーションからヒントを得て、昼ごろに業者を当たっていた」
「そうなんですか?」
「ああ。アートシアターつばさは俺たちが所有しているわけではないが、電飾をすることは可能だからな。それに照明演出に使えるかもしれない。知人の紹介で、詳しい人物を当たっていたんだ。昨日と帰らなければ、この件は纏まらなかった。だから……むしろ、感謝している。ありがとう、」
黒木さんは手袋を外すと、すっと私の手を掬い上げた。冷たい指先が私の熱を奪っていく。真っ赤な瞳に見つめられて、視線はーー逸らせない。どういたしまして、って言うのもなんかおかしいし……と迷っていると、黒木さんが「ところで」と話を切り替える。
「料理が終わったということは、食事中だったか。すまない、長々と話してしまった」
「あ、いえ! 大丈夫です、お気になさらず」
「今日は何を作ったんだ?」
「ガレットです。じゃがいもとベーコンとチーズの……いっぱい作っちゃったんで余ってるんですけど、黒木さんも食べますか?」
彼が日に摂るカロリーや栄養を調節しているのは以前湧太郎さんに伺っていたので、半分くらい冗談だったのだが。
以外にも黒木さんはコートを脱ぎながら「ああ」と短く告げた。
「……何を驚いている。が言い出したんだろう」
「こ、断られると思ってたので……黒木さん、カロリー調節して食べてるって、その、湧太郎さんから伺ってたんですが」
「ああ。だが、最近はできるだけ経験を増やすべきだと考えている。以前インタビューの際に、チョコレート菓子に派閥があることを知らず、インタビュアーを困らせてしまったことがあったからな」
「ああ、海と岬の戦争ですか」
「そうだ。あのときの白椋と朱道は、まるで大岡裁きのように俺を引っ張ってきた。ちなみには……」
「海に人権とかないですね」
「……そうか……」
お菓子でさえ陽向くんとは趣味が合わないのだ。これはもう呪いなのではなかろうか、と思うほど、私は上司と食の好みが合わない(なお、響也くんとは合うし、カイトくんとの合致率は九十八パーセントだ)。
黒木さんはまだ海と岬の結論を出せていないらしい。これは明日あたり、コンビニ限定の「たけのこの岬〜キャラメルいちご味〜」でも買ってきて無理にでも岬派に引き込むしかない、なんて考えつつ、私はフライパンに残っていたガレットをお皿に移した。コートを脱ぎ、手を洗った黒木さんは私の向かい側に座る。一流レストランで食事をしていたっておかしくないような人が、勉強のため、と私なんかの料理を食べてくれるのは――やっぱりちょっと、嬉しいな。
「いただきます」
黒木さんは静かに告げ、フォークをガレットに落とす。ここに暮らし始めて五日目になるけれど、一緒に食事をしたのは初めてだ。いつも黒木さんは外で済ませていたし、これからもこんな風に向かい合って食事をすることはないだろうと思っていた。
浅ましいと思いつつも、自分の作った料理が他人の口に合うか気になってしまうのは仕方ないと思うので許して欲しい。料理下手ではないはず……なんだけど。そんな私の視線に気付いたのか、黒木さんはごくんとガレットを嚥下すると、深紅をゆるめて私を見てくれる。
「よくできている」
「お口に合ったなら良かったです」
フォークがストンとガレットを切り分ける。そんな黒木さんの姿は、ここがご自宅だということを忘れてしまいそうなほどに優雅だったけれど……ずっと見ているのは失礼だ。私は視線を自分の手元に戻して、パリパリに焼けたガレットを口に運んだ。
2019.01.18 柿村こけら
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