Yumeiro Cast

キッス・イン・ザ・ダーク

 新しいお酒を買ったんだけどね、と仁さんが私に言ったのは練習の合間の休憩時間のことだった。ドレスリハーサルまではしばらくあるから衣装を急ぐ必要はないので、私は手縫いで処理しなくてはいけない部分を進めながら練習室の片隅にいた。普段は裁縫室の主と化しかけている私だけれど、朝日奈くんや蒼星くんの計らいもあって支障がないときはこうして練習室でみんなの練習室を見ながら作業をしている。ずっと引きこもってたら疲れないか? とは朝日奈くんの言だ。
 今日はカイトくんが完成させたメロディーに合わせてダンスを確認する作業。主役の昴くんを中心に配置について仁さんの拍手音でテンポを確認していく。アン・ドゥ・トロワと手拍子を繰り返す切れ長の瞳を緩ませて、仁さんはミネラルウォーター片手に私の横に座った。
「また新しいリキュールですか?」
 成人組――というより、カクテル組。陽向くんは当然として、昴くんや伊織くんもあまり顔を出さない集まりがカンパニーの中にはある。それは仁さんの自宅で彼にカクテルを作って頂く集まりで、ここ最近は仕事終わりの私と蒼星くんが定期メンバー化している。カイトくんは甘いカクテルが出るなら、とたまに顔を出す。朝日奈くんとまどかちゃんはまちまち。他の団員もちょくちょく来る人は来るし、来ない人は来ないって感じだ。蒼星くんに関してはカクテル党というよりはコーヒーリキュール党って感じがしなくもないけれどと思いつつ、私も結局甘いカクテルばかり選んでしまうので人のことはあんまり言えないかもしれない。
「ううん、今回はジン」
「あれ、でももう何本かありましたよね」
 仁さん宅の酒棚を思い起こす。カクテルを作るのに使う様々な種類のお酒は、スペースがあまりないからと言って違うものを中心に集めていた。だから味が違うと解っていても、あまり同じタイプのものは買わないようにしていたはずたったと思うんだけども。
「ビーフィーター、もうそろそろなくなりそうだったからね。ちゃんはサファイアの方が好みだっけ?」
「そうですね。……これ言っちゃうと元も子もないですけど、ジン自体そんなに……」
 辛いので、と言葉を濁す。カイトくん程ではないにしても甘いものの方が好みの私はあまりジンを飲まない。ジントニックもジンバックもスルーしてファジーネーブルやピーチフィズを頼むタイプ。最近のお気に入りはカイトくんに薦めてもらったアイスワインだけど、あれは値が張るので滅多に飲まない(ていうか、飲めない)。
ちゃんに飲んで欲しいんだけどな」
 ジンだけにね、なんてちょっと寒いことを言った仁さんはボトルを床に置いて鏡の前に戻る。ぱんっという手拍子の音で休憩が終わり、休んでいたキャストたちが再びレッスンルームの中心に集まった。そんな姿を見ながら、手元で針を動かしてスパンコールの縫い付けを続ける。
……そんなこと言われたら、行くしかないじゃないか。

 夜まで続いた練習を終えて、私はカンパニーの裏手で一人待っていた。他のキャストも誰かしら来るかと思いきや呼ばれたのは私だけだったようで柄にもなく緊張してしまう。別に仁さんの家に行くのはこれが初めてではないし、一人で行ったことだって何度もある。逆に彼が私の家を訪れたこともある。だから今更な関係ではあるのだけれども。
 なんて思ってたら私の前に車が滑り込んできた。運転席に乗っていた仁さんは車を降りると流れるような動作で助手席のドアを開けてくれる。お嬢様のように私を助手席へ案内し、彼は再び運転席へと戻った。狭い空間で、隣の彼からふんわりコロンが匂ってくる。車内に響くのは優雅なクラシックだ。
 大人だなぁ、と思う。仁さんと私はそこまで歳が離れていないようにいて、精神的には大分差が出ている。年齢差だけで言えば私と陽向くんの方が離れているはずなのだけれども。

 着いたよ、と仁さんがやっぱり執事のように恭しくドアを開けてくれる。私はお礼を言って車を降りた。あっさり車庫入れを終わらせた彼は戻ってくると、すっと私の手を取って玄関まで連れていく。執事というより、王子様だ。ずるいなあ、まったく。二週間ぶりくらいに訪れた仁さんの家は相変わらずお洒落で、この家がカフェだった頃の面影を残している。私はソファーの近くにカバンとコートを置いてカウンターちっくに改装された机に向かった。仁さんはストールやベストを脱いでラフな服装になるとすぐに酒瓶を手に取る。
「タンカレー・マラッカジン。結構粘って、競り落としたんだ」
 本来はグリーンのボトルに入っているタンカレーだが、その瓶は透明だった。赤いはずの封蝋マークも色が違ってゴールドだ。曰く、何年か前に限定で生産されたジンらしい。確かに普通のボトルの方はスーパーなどでも見かけるけれど、こんな色があるなんて知らなかった。競り落とした、ということはオークションか何かに出品されていたのだろう。生産の終わった古酒は高値がつくからと取っておいて出品する人も一定数いる。
「これでちゃんにカクテルを作りたいんだけど、いいかな?」
「もちろん、喜んで」
 やっぱり、断れるわけなんてない。仁さんは私にウィンクを一つ飛ばし、キュッと栓を捻って開ける。透明の、けれど度数は高いそのお酒がカップで計られてシェイカーに注がれた。ジンに続いてベルモット。それから三本目のボトルが棚から抜き取られ、私の前に差し出される。
「チェリーリキュール……ですか?」
「正解」
 ボトルキャップが外されるとふわり、さくらんぼの香りが漂ってくる。彼はそれもシェイカーの中に注ぎ、蓋を締めるとすぐにしゃかしゃかと上下に振り始めた。バーテンダーも顔負けなくらいかっこいい。シェイカーを抑える指先に目がいってしまう。揺れるボトルと一緒に左右に振れる髪の毛。大人だなあ、と思う。私だって大人だけど、仁さんはそれ以上に大人だ。
 やがてシェイクの終わったボトルから完成したカクテルがグラスに注がれる。真っ赤なそれがショートグラスを満たして、コースターと一緒に私の前に置かれた。
「『キッス・イン・ザ・ダーク』だよ」
「……わぁ、」
 ニコニコと笑って仁さんは告げる。私だって伊達にカクテル党じゃない。真っ赤なそれが何を象徴するのかくらい知ってる。知ってるけれど――その上で、グラスに口をつけた。仁さんが壁に取り付けられたパネルを操作すると電気が消えて代わりに間接照明が点く。仄暗い雰囲気の中、グラスには私のリップのピンクが残った。あまい、あまい、リキュールの香り。けれど後から刺すように襲ってくるジンの辛さ。ベルモットはそれを甘くなんてしてくれない。アルコール度数は果たしていくつだろうか。ジン自体が確か四十はあるはずだから……と考え始めた頭が既にぼーっとしている。お酒、あんまり強いわけじゃないからなあ。
ちゃん」
「……ん、っ……」
 仁さんの指先が私のグラスを奪ったかと思うと、中身を口に含む。堕ちるようなそれを口移しで飲まされて、私の頬がぽっと赤くなった。この薄闇の中じゃ見えないだろうけれど。ショートだからすぐ飲まないとって、解ってるけど、ね。
 いい? と彼のあまい声が耳元に落ちる。やっぱり、断ることなんて……できない。空になったグラスを机の上に残し、私は仁さんに軽々と持ち上げられて寝室へと連れていかれた。



2016.09.22 柿村こけら


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