Yumeiro Cast

白雪姫の残り香

「うっわぁ……」
 こりゃひどい、というのが室内に足を踏み入れて一歩目の感想。私の斜め後ろで蒼星くんが頭を抱えているのは見なくても解った。
「気付いたらこうなっちゃって」
 そう言う家の主――もとい朝日奈くんは、さも不思議そうに腐海と化した部屋を見ていた。お茶を飲むスペースさえない。噂には聞いていたけれどここまで酷いとは思わなかった。
 本日の予定、朝日奈邸の掃除と片付けである。私の家もお世辞にも綺麗に片付いているとは言えないが、ここまで酷くはない。読みかけの本らしきものや様々な雑誌の山、視聴していたと思われる円盤のパッケージ。我らが主宰こと朝日奈響也は、一度熱中してしまうと他のことに目が向かないという欠点がある。まあそれに関しては朝日奈くんだけじゃなくてまどかちゃんやカイトくんもそうなんだけどさ(御多分に洩れず、私もだが)。朝日奈くんの場合、これだけ広い家だというのにここに集中して汚してしまうのがネックだ。余談だがカイトくんは集中するけど部屋は綺麗に保てるタイプ。私はすぐに片付けるタイプ。
 蒼星くんの週間スケジュールには朝日奈邸の片付けが入っているという噂がまことしやかにキャストたちの間で流れているのだが、どうやら嘘ではないらしい。慣れた手つきでエプロンと三角巾を着けながら(似合っている)蒼星くんはゴミ袋をバサッと広げた。
「蒼星、俺は……」
「響也はどうせその辺で雑誌読み出しちゃうでしょ。ここは俺とさんで片付けるから隣の部屋で仮眠取ってて。クマ酷いよ」
「えっ、そんなに?」
「そんなに。どうせ資料調べで徹夜で画面見てたんだろう? さん、それでいいかな? 響也は戦力にならないし」
「あ、うん。捨てるものの判断とかはいいの?」
「汚れてるけど、基本は元の場所に戻すのと飲食物のゴミを片付けるだけだからね。ある程度は俺の判断で捨てる」
 そう言い放った蒼星くんに朝日奈くんは何の抵抗もできないらしかった。眠そうな目を擦りながら彼は隣室へ向かう。ドアの隙間からちょろっと覗いて見れば布団が敷かれていた。ベッドもあるけど仮眠室代わりに使っているらしい。そりゃこれだけ広い家だもんねぇ。
 朝日奈くんが布団に入ったのを確認し、私もエプロンとバンダナを着ける。ここ一週間は大抵のことをこの部屋で終えていたらしく、ジャージやら寝間着やらまで散乱していた。……後で纏めて洗濯機に放り込んでくれよう。
「じゃあさんはその雑誌の山を整理してくれる? 買い足したものもあるだろうから、種別に分けてくれれば後は俺が本棚に戻すよ。俺はこっちの腐海を処理する」
 言いながら彼はゴム手袋を装着する。自炊のできる朝日奈くんもカップ麺とか食べるんだ……と意外に思いつつ、私は指示通りにソファの周囲に撒き散らされている雑誌を手に取った。演劇の月刊誌、ミュージカルの特集が組まれた女性誌……種類は様々だ。言われた通りに分けては積み直す。こうして見ると、朝日奈くんは勉強家なんだなと再実感。まどかちゃんが一つの演目を作るときに集める資料の量も膨大だけど、朝日奈くんはそれ以上だ。この家自体彼の父である真さんのものだから、もっと沢山の資料があることだろう。確かに朝日奈くん、片付けながら読み出しそう……。
 背後からはガサゴソ音が聞こえてくる。時たま混じるファブリーズのスプレー音。漂ってくるのはミントの香りだ。

 おやつの時間が近付く頃には、何とか床が見えてきた。私は雑誌の整理と円盤の整理を終え、蒼星くんは腐海との戦いに決着をつけていた。
「ふぅ。結構片付いたね」
「そうだね。響也はまだ起きてこないだろうし、先に二人でご飯食べちゃおうか」
 掃除用のエプロンを外した蒼星くんはカバンから新しいエプロンを取り出す。カフェエプロンをささっと装着すると、彼は躊躇いなく朝日奈家の冷蔵庫からタマゴを三つ抜いた。私も何か手伝おうかと聞けば、食事用テーブルの上を片付けて欲しいと頼まれる。……腐海、リターンズ。朝日奈くんにはこの後蒼星くんからの説教が降り注ぐことであろう。
 私が二人分のスペースを確保する頃には、バターの焦げる匂いが鼻先をくすぐった。お待たせ、と二人分のオムライスを手に蒼星くんがキッチンから出てくる。プレーンオムライス二人分。白いお皿に盛り付けられたそれが机の上に置かれた。
「いただきます」
「召し上がれ」
 中に詰まったケチャップライスからは湯気が上っている。グリンピースの緑を見受けながら口に運びつつ、私は蒼星くんにこの後の予定を尋ねた。
「響也はしばらく起きてこないだろうし、俺はさっきさんに整理してもらった雑誌を棚に入れるから、洗濯……って、女の子に任せちゃダメか」
「私はそんなに気にしないよ。実家じゃまとめて洗ってたし……朝日奈くんが気にするかもしれないけど」
「片付けられない奴に権利はない」
「わぁ、蒼星くん顔が怖い」
 これまたすっぱり言い切った蒼星くんの決定は絶対で、私は朝日奈くんが溜め込んだ洗濯物の担当になった。食事を終えて食器を洗い終えるとすぐに行動開始。部屋の隅に積まれた洗濯物を洗濯機にぶっ込んでいく。色落ちと色移り……はしなさそうだね。
洗濯担当と言っても洗濯機が止まるまでは暇なので、私はリビングに戻って蒼星くんのところに行く。彼は雑誌を棚に差し込んでいた。
「蒼星くん」
「あれ、早いねさん」
「うん、洗濯機に入れるだけだし。何か手伝うこと……」
 と、言った瞬間だった。足元を見ていなかった私は積んであった雑誌の山に足を取られてしまう。積んだのは私だっていうのに!
「わっ!?」
「きゃ……っ!」
 ぼすん、とカーペットに落ちる音。続いて聞こえるのは折角積んだ雑誌が崩れる音だ。うう、申し訳ない。咄嗟に瞑っていた目をゆっくり開けると、そこには蒼星くんがいた。下敷きにしてしまったらしい。
「ご、ごめん蒼星くん!」
「俺は大丈夫。さんこそ怪我してない?」
 ズレた眼鏡を直しながら蒼星くんが告げる。幸いと言うか、彼がクッション代わりになってくれたので痛むところはなかった。とりあえずどこうと思って身体を持ち上げるが、くいっと何かが引っかかってしまって動けない。見れば、私の髪の毛が蒼星くんのシャツのボタンに絡まっていた。
「ちょっと待って。……ダメだ、取れない。さん、もうちょっと寄ってもらえる?」
「ハサミあれば切っちゃってもいいよ?」
「ダメだよ、髪の毛は大事にしなくちゃ。折角綺麗なんだから……ていうかまあ、届く範囲にハサミがないってのもあるんだけど」
 ちらりと蒼星くんが部屋の隅を見る。あっちでゴミを片付けるときに使っていたらしく、その鈍色は遠い。
 毛先を蒼星くんの指が繰る。ボタンを留める糸にすっかり絡まってしまったらしく解ける気配がない。
「このまま動くしかないか……」
「やっぱり髪の毛千切っちゃう? 後で切り直せば目立たないし」
「ダメだって。切るなら俺のボタンの方。それにボタンなら、さんが付け直してくれるでしょ?」
 にっこり笑って蒼星くんは言う。完敗だ。私の顔はぴったり彼の胸元に押し付けられた状態で、ゆっくりと起こされる身体と一緒に動いた。
「……」
 あっしまった、無言になっちゃった。どうしよう、何か言った方がいいかなと思いつつ真上にある蒼星くんの顔を見上げる。ぱちり、視線が絡まった。
さん?」
「あ、ごめん、何でもない! それよりハサミだよね、ごめんね、」
「……洗濯機、止まるまでどれくらいだった?」
「え? えっと、確か一時間以上あったと思うけど……」
「じゃあそれまで休憩にしちゃおっか」
 言ってすぐ、立ち上がろうとしていた蒼星くんがカーペットの上に寝転がる。髪の毛でくっ付いている私もまた、彼と一緒に床へダイブ。眼鏡を近くのサイドテーブルの上に置いた蒼星くんは、さん、と私の名前を呼んだ。蒼星くんの腕が私の背に回る。がっちりと捕まえられた私は起き上がることもできず、諦めて彼に身体を預けた。
 額に口付けが降ってくる。恥ずかしげもなくそういうことをする辺り、蒼星くんもやっぱり夢色カンパニーの一員だ。
「隣に朝日奈くんいるんだけど……」
「起きてこないから平気だよ」
 本当に平気なのかなぁ、それ。
 でも拒むことはせず、私は蒼星くんの薄い唇にキスを落とした。



2016.09.26 柿村こけら

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