異次元の狙撃手
04:幸せはメープルシロップの味がする
昨夜ホテルに帰ってから、少し休んだ後は二人してほぼ徹夜で昔の新聞記事を確認していたんだけれど……生憎、真純のお目当てのものは見つからなかった。私も見覚えがあったから芸能人か何かだろうかとネットの海を泳いでみたものの、こちらもヒットはなし。スマホで撮影してきた写真を見てぶつぶつ言う私たちに、メアリーはあまり根を詰めないように、と忠告してくれたけど真純は生返事を返しただけ。すっかり集中モードに入ってしまった真純をよそに窓の方を見れば、閉めたカーテンの隙間から朝日が入り込んできているし、外からはスズメの鳴き声。ベッドサイドの時計を確認すれば、あと五分で六時になるところだった。七時になればルームサービスで朝食を頼めるので、ご飯は一時間後。徹夜をしているといつも以上にお腹が空くものだ。
「真純、そろそろ休憩しよ?」
「んー……」
生返事の真純を見て、私は溜息を吐きながら頭を軽く小突いた。痛みにさえ鈍くなったら大問題だ。
「寝不足じゃ頭働かなくなるよ? いざってときにコナンくんに遅れを取りたくないでしょう?」
「ん……そう、だね。ありがと……」
「七時になったらルームサービスで朝食頼むから、それまでにお風呂入ってさっぱりしとこ」
「うん、そうしようかな。あーだめだ、気を抜くと眠くなっちゃうな」
ノートパソコンの前で伸びをする真純を尻目に、私は戸棚から二人分のバスタオルを取り出す。実はさっき湯船にお湯を入れ始めたから、そろそろお湯がたまる頃合いだろう。だらけそうになる真純を椅子から引っ張って、二人して狭いバスルームに入る。案の定お湯はいい感じに溜まっていて、浴槽からはほかほかと湯気が上がっていた。
「ー……?」
「真純、半分寝てるよ? もうっ、ほら、こっち」
狭いバスルームの中で下着を脱いで、先に真純を浴槽に入れる。真純はバスタブに入ると同時に、口元をお湯に埋めてボコボコと泡を吐き出した。暖かなお湯が心地いいようだが、あ、ダメだこれ。放っといたら確実に溺死パターン。徹夜は逆に効率が悪いんだぞーと思いながらバスタブに続けて入ると、お湯が少しだけ床に溢れた。
「はー……」
向かい合って温かいお湯に浸かっていると、確かにこれは眠くなってくる。でもそんなことしたら溺死体が二つになってしまうので頬をつねって意識を引き戻した。いけないいけない、と頬を叩きながら反対側の真純を見ると、彼女は若干船を漕ぎ始めている。このままにしておくわけにはいかないので、彼女の白い腕を引いて身体をこちらに引き寄せた。ぱしゃん、と水音がこだまする。
「っ、……」
「いーよ、寄りかかってて」
「んん……」
言いながら真純の肌に手を滑らせる。くすぐったかったのか、真純は少しだけ甘い声を漏らしていた。バスタブは狭いけど、こうやってぴったりとくっ付けるのは悪くない。甘い声は二人だけのバスルームに響いて、疲れをゆっくりと引き剥がしていく。お湯を被ってかさの減った髪に指を通しながら、私は真純をぎゅうと抱き締めた。彼女のこんな顔を見られるのは私だけだと思うとうれしくてどうにかなってしまいそうだ。昨日のデート(デートじゃないけど! 仕事だけど!)は途中で人が死ぬわ命の危険に晒されるわで散々だったけど、こういう二人きりの時間はそんなこと考えなくていいから幸せだ。
「真純」
「ん…………」
誰も見ていないのをいいことにキスを落とす。足下から這い上がってくる不安を退けるかのように。首筋から頬にかけて口付けたところで、真純が少しだけ起き上がって顔をこちらに向けてくる。お誘いに応えるように、私は真純の唇を奪った。
風呂を上がって朝食を摂ってから、私たちは図書館を訪れた。結局あの後二人そろって風呂で寝てしまい、八時過ぎになって起きてきたメアリーに素っ裸のまま説教を喰らった。これに関しては私が全面的に悪いので正座したままスンマセン以後気を付けますと頭を下げたのだが。おのれメアリー、外見はあんなに可愛いのに。真純に似て……ではなく、真純が似て、というべきか。
そういうわけで予定より少し遅めの朝食を腹に収め、私たちは近くの図書館までバイクを走らせたのだ。新聞の方……つまり殺人事件や窃盗事件に関する記事は昨日粗方探したけれど、ヒットは0。それならやはり芸能か何かにヒントがあるのだろうということになり、私たちは女性誌のバックナンバーを机の上に運び出した。ファッション誌に料理雑誌、ダイエット本……流し読みとは言え、バックナンバーの量が量なのでかなり大変そうだ。しかし言っている余裕もないので、早速向かい合って作業を始める。
「こりゃ骨が折れそうだ」
「頑張りましょ。私こっちやるね」
真純に声をかけてから、ペラペラと記事をめくる。一刻も早くアテを見つけないといけないのは、ひとえに森山さんがハンターに狙われているから。初動が遅れれば、それだけ彼の命に関わる。まさかニュースなどで「森山さん狙われてます、すぐお近くの警察署まで〜」なんて告知を打つわけにもいかないので、こればっかりは地道な作業でしか解決の糸口は掴めない。
昼前から作業を初めて数時間。昼食を摂ることも忘れて作業に没頭していたが、気付けば窓の外が朱色に染まっていた。森山さんの情報はまるで得られず、私が得たものと言えば料理雑誌に載っていた美味しそうなレシピばかりだ。……言っておくけどそっちがメインではなく! あくまで気になるレシピがあったらメモを取っていたくらいで!!(真純も食べるし、ね!)(夏バテ厳禁だ!)
「勘違いだったのかなあ……」
私が心の中で言い訳を並べ立てているのをよそに、ページをめくりながら真純が言う。真純の方はこの図書館にあるバックナンバーのほとんどを読み尽くしてしまっているが、やはり得たものはなかったらしい。退館時間のアナウンスが流れた館内には私以外の人影がなくなっていて、時間切れを感じてしまう。
「もう閉館みたいだよ?」
「うーん……あっ!」
私がそう言いながらチェックを終えた雑誌を片付けようとしたところで、がたん、と彼女は立ち上がった。真純が指差した記事には、確かに森山さんの顔が載っている。最後の最後で、ビンゴ!
「あの……そろそろ……」
「あ、ごめんなさい! すぐに片付けますね」
退館時間になっても残っている私たちに声をかけに来た図書館の職員さんに謝って、私は記事を読み込む真純を尻目に大量のファイルを腕に抱える。どうやらこの事件、今日中に進展しそうだ。
雑誌は借りずに情報だけを脳内にインプットして、私たちは図書館を出た。森山さんが名前で検索してもヒットしなかったのは、彼が結婚時に奥さんの姓を選択し、今は森山という姓を使っていなかったからだった。自分の名前を合法的に変更することでハンターやその娘さんから逃げ切ろうとしたのではないか、なんて邪推してしまう。
でも、こうして調べただけで居場所が見つかってしまうくらいなのだから、彼の職業や生い立ちを知っていそうなハンターなら、とっくに彼が今どこで何をしているかくらいは知っているだろう。一刻も早く狙われていることを伝えて保護しないと、いくら相手がクズとは言え藤波のように殺されてしまう。それは避けたかった。
「、コナン君も呼んだ方がいいよな?」
「うん、大丈夫だけど………もう暗いから蘭ちゃんが止めたりしない?」
「あー、それもそうだな………でも、一応かけてみる」
巻き込まないでとは言われたが、ああやって自分から首を突っ込んで危ない目に遭うくらいなら最初から声をかけて一緒に行動した方が逆に安全だろう。あのちっちゃい身体でどこにでも潜り込んでしまうのだから。
真純が電話をかけると、数コールでコナンくんは出たようで真純は嬉しそうな声で事情を告げる。電話の向こうのコナンくんも乗り気のようで、「今どこ?」なんて声が聞こえてきた。
「驚いた。ボクたちも本所にいるんだ」
『えっホント!? じゃあ、すぐ行くね』
真純が電話を切ってバイクに跨る。私も投げられたヘルメットを受け取って彼女の後ろに乗り込んだ。どうやらここで待つのではなく、現地集合ということになったらしい。
「先に森山さんの家に行ってよう。コナン君は吾妻橋の方にいるって言ってたから、すぐに来ると思う」
「了解!」
細い腰に手を回し、少し走ってコンビニを曲がったところにその家はあった。ベルツリー近くの土地だし、地価は相当だろう。そこにそびえ建つのは、これまた金持ちであることを誇示するような大豪邸。工藤邸に負けないくらい大きいんじゃないだろうかなんて思ってしまう。
バイクを路肩に停めて、真純がコナンくんからの電話を受ける。私は電気の点いていない豪邸を眺めて、むむ、と首を傾げた。こんな夜遅くなんだから、どこかしらの部屋の電気くらい点いていてもいいと思うんだけど。真っ暗ってことは外出中かな? ……だとしたら、確認だけして後は目暮警部に投げた方がいいかも。
「そう、そこの角を曲がって………こっち!」
なんて考えていたら、すぐにコナンくんが合流した。コナンくんはてってってと走ってくると、真純の隣で立ち止まって暗い豪邸を見上げる。
「どうやらこの事件、ボクらが解決する運命にあるようだな」
傍らの名探偵を見ながら、真純は得意そうに告げるとインターホンを押し込んだ。しかし案の定、応答はない。どこかに出かけてしまっているようだ。これだけ広い家なんだしお手伝いさんとかいたりしないかな、なんて思いながらもう一度インターホンを押してみようとして――ガコンと機械音が響く。
どうやら地下にある駐車場から車が出ようとしているらしい。なるほど、これから出かけるから家の電気が消えていたのか。とすれば、その車に乗っているのは恐らく森山さんだろう。出かけるよりはまだ家の中にいてくれた方が安全だと判断したのは全員同じらしく、コクリと頷いて走り出す。
「まずい!」
「行こう!」
車庫から出る車を止めようと車の前に割り込もうとした、その瞬間。
その場に似合わない音が突然響き渡った。ヒュン、と空を切るような音に、葉が落ちる音。続いてガラスが勢いよく割れる音。
「真純! コナンくんっ!」
そう叫んでしまった私の声を掻き消すように、森山さんの乗った車は急発進すると大きな音を立ててガードレールにブチ当たった。二人は何とか直撃を避けられたみたいだったけれど、車の方は………ここから見ても解るほどひしゃげ、エアバッグにさっき雑誌で見たばかりの顔が倒れ込んでいた。白に赤が滲んでいくのも確認できる。
止められなかった。
フロントガラス越しに見える森山さんの命を奪ったのは、間違いなく車が発車する直前に聞こえた音――一発の弾丸だろう。物言わぬ姿と化した彼を一瞥し、私は携帯を取り出してジョディに連絡を入れた。すぐに目暮警部たちにも伝わるだろう。現場検証や諸々は申し訳ないが警察に任せることにして、私たちは時間との戦いに身を躍らせる。
「コナン君、また三人乗りでいいか!?」
「大丈夫!」
この前同様に私の前にコナンくんが座って、真純がバイクのエンジンを噴かせた。あのとき逃がしてしまった犯人の顔を、今度こそ見るために。
「狙撃場所と考えられるのは二か所! どっちだと思う?」
バイクを走らせながら真純が言う。あの位置から見えたビルは二つ。片方は低いが近くにあるビルで、もう一つはそこより少し遠くにあるが高さは十分なビル。
「高い方に賭ける。フロントガラスと森山さんの弾痕の位置を直線で結ぶと手前の低いビルが狙撃ポイントになるけど……あのとき森山さんの車はまだ地下駐車場の途中にいた。ってことは、坂道の角度を加算した入射角が本当の弾道ってことになるはず! ね、姉ちゃん?」
「うん、私もそう思う。ベルツリーを狙撃できるような相手なら、奥のビルからでも十分撃てるだろうし」
その上、車はゆっくりではあるが動いていた。動く標的を撃つ挙句一発で仕留めるあたり、やはりハンターの狙撃の腕は上の上。シールズの狙撃自体が並外れたものだと秀一さんに教えられたけれど、まさかここまでとは。ビルが乱立する日本の都会で遮蔽物を気にも留めずに対象を射殺できるというだけでも、その実力の高さが窺える。
「うん、ボクもそう思う。急ごう!」
目標のビルへと走る私たちだったが、後少しのところで信号が赤になってしまった。狙撃されてからもう何分も経っている。そろそろ撤収作業を終えた犯人と行き違いになってしまってもおかしくない。
「っ、ボク先に行ってるね!」
「あっ、待てよコナン君! 一人じゃ危ないよっ……!」
歩行者信号が青なのをいいことにコナンくんはバイクから飛び降りてビルへと駆け込んで行ってしまった。やっぱり危険な目も何も、自分から危険に首突っ込んでるとしか思えないぞ! まだハンターが屋上にいるかもしれないのに走り出した少年を見て、真純は舌打ちをするとハンドルを手放した。
「ごめん! バイク停めといて!」
「えっ、あっ、ちょっと真純!?」
そりゃ私が行くより真純が行った方が戦力になるだろうけれど。
仕方なく主不在となったバイクに跨り直し、青信号と同時に左折する。パーキングを探している暇はないので申し訳ないと思いながらも道路の端にバイクを停めてキーを抜いた。
急いで横断歩道を渡ってビルに入る。入ったところで既視感――いや、違う。ビルの内部じゃなくて、これは入り口ですれ違った人への感覚だ。
慌てて振り返るとそこにいたのは数名の会社員と警備員。そのうちの一人の背中には大きなバッグと、それから火薬の匂い――硝煙!
「待っ……ハンター!」
踵を返して男を追いビルを飛び出したが、ハンターらしき男はすっかり夜の街に消えてしまっていた。チッと舌打ちをして、目と鼻の先に犯人がいたのに逃がしたことを後悔する。でも、後悔先に立たず。私は私にできることをやるだけだから、携帯を取り出してもう屋上にいるであろう真純に連絡をする。ハンターを見逃したこと、目暮警部たちにはすぐ連絡するから、証拠保全だけお願いしたいこと。
森山さんの殺害現場には目暮警部とジェイムズが、狙撃現場には高木刑事たちとジョディとキャメルがやって来た。鑑識さんの邪魔をするわけにもいかないので、私たちは簡単な事情聴取を終えるとコナンくんを毛利探偵事務所まで送ってから帰路に着く。
真純曰く、狙撃地点には今回もサイコロと空薬莢が置かれていたらしい。サイコロの目は三。前回は四だったから、まるでカウントダウンでもしているようだった。
これを本当にカウントダウンと考えるとサイコロの目はあと三つ残っているから、殺されそうな人物はあと二人。元アメリカ陸軍所属のジャック・ウォルツさんとその部下のビル・マーフィーさん。ウォルツさんは京都に、マーフィーさんは日光にいるそうだから、必然的にハンターは動かざるを得なくなる。狙撃されることが解っているのにわざわざ警察の保護下から抜け出して動くバカもいないだろうから、森山と違って居場所が解っている以上ひとまずは安心だろう。
さて、そんなことより。
「……真純」
「ん……」
帰ってきてから彼女はずっとこんな調子だ。コナンくんと一緒に高木刑事に軽く現場の状況を聞かれたときは空元気だったようで、張っていた強気が緩んでしまったに違いなかった。
まあ、無理もない。森山にコンタクトを取ろうとあそこまで行ったのに、目の前でその人を殺されたのだ。別に真純の落ち度ではないと思うが、それでも守れたかもしれない人の死に直面するということは神経がすり減る。真純は探偵で、殺人現場なんて何度も目にしているけど……自分の眼前で人の死を目撃したことは私に比べたらそう多くはない。探偵はどうしたって後手に回るものだから。
ましてや、彼は守ろうとした人だった。相手がいくらクズだったとしても、真純とコナンくんにとっては守ろうとした人物。裁かれるべき場所で裁かれるまで、その命を狙われては欲しくなかった。
「ご飯食べないと疲れちゃうよ。ほら、好きなもの作ったげるから」
「ホットケーキがいい」
「メアリーのリクエストはまた今度ね」
ちぇ、と少女は舌打ちをする。ごめんね、今日は真純のリクエストが最優先だ。
「……いいよ、ホットケーキで」
「えっ?」
「ボクも……のホットケーキ、食べたいし」
「! うん、解った。今作るからちょっと待ってて」
ちょっとでも元気が出るのならそれに越したことはない。二人を尻目に私は早速ホットケーキミックスをボウルへと出し、他の材料も混ぜながら三人分のホットケーキを焼いていく。これを食べたらゆっくりお風呂に浸かって早めに寝かせよう。
明日は気晴らしに三人で出かけるのもアリかなあ、なんて思いながら、私は焼き目が付いてきたホットケーキをひょいとひっくり返した。
2022.05.02 柿村こけら
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