Tokyo Ghoul :re
善くない種を増やして
※オメガバースパロディ
瓜江くんと才子ちゃんは鼻がいい。赫胞を移植した影響でクインクスのみんなは五感のどれかが常人よりも鋭くなっている。わたしみたいな一般人とは違うから、数値化したらきっとすごい差があることなんだろう。
けれど、今のわたしだってーーなかなか、鼻が利くと、思う。
「は、ぁ……っ」
目の前にある布の山に手を伸ばしそうになって、すぐに手を引っ込める。だめ、だめだ。人差し指の第二関節を口に添えて、思いっきり噛む。わたしが喰種だったら自分の手でも食べていたことだろう。……少なくとも、痛みでちょっとは理性が戻ってきた。けれど視線はわたしの前ーー積まれた洗濯物に、いってしまう。
まだ昼間だからみんなが出払っていて良かった。才子ちゃんも珍しくみんなと一緒に捜査に出ているので今シャトーにいるのは正真正銘わたしだけだ。こんなとこ誰かに見られたら、恥ずかしくって仕方ない。
「うぅ……はいせくん……」
だめだめ、ちゃんと仕事しなきゃ。
解ってはいるのに、わたしの手はそろそろとそれに伸びてしまう。みんなの洗濯物はもう洗濯機に突っ込んだから、あとはハイセくんの物だけなのに。
ーーこの世界には、人間と喰種、二つの種族がある。
けれど神様はそれだけじゃ物足りなかったのか、生き物を更に細分化した。女性と男性、それに加えてアルファ、ベータ、オメガという「第二の性」。合計六パターンもある性別のせいで、わたしはどうにも生きづらい。オメガという定期的に発情期がきてしまう自分の性が憎らしいからだ。そのせいでわたしは床にうずくまったまま、ロクに動くことさえできなくなっているわけで。
発情期に入ったオメガは無意識に番となるアルファを誘惑したり、求めたりする。いわゆる求愛行動。子孫を残すためと考えれば正当な行動であるのだけれど、当人としてはたまったもんじゃないのである。顔が熱い。身体も熱い。汗ばんだ足がフローリングに貼りつく。まるでここに縫い留められているかのように。
そしてその求愛行動のうちの一つが、匂いーーアルファの匂いを求めてしまうというものだ。人間のわたしでさえこんなに匂いに敏感になっているというのに、嗅覚が優れている喰種のオメガはどんなことになってしまうんだろう。予想もつかないくらいすごいことになるんだろうな。流石にちょっと同情する。
「……はふ、」
まあわたしだって言ってる場合じゃないんだけど。
そこにあるハイセくんの洗濯物をネットに突っ込んで、洗濯機に入れるだけ。洗剤はもうセットしてあるんだから後は蓋をしてボタンを押すだけでいいのに、そこに至る一歩が踏み出せない。
……ハイセくん。
彼の柔らかい微笑みがわたしの脳みそを侵食していく。首の後ろーーうなじに手を遣って、ぎゅう、と強くつねった。それでもまだぽーっとしたアタマは余計なことを考えている。発情期だから、で許されることじゃない。ハイセくん、ハイセくんーーすき、大好き。きみがいなくなるときまででいい。きみの中に、わたしの居場所が欲しい。そういう狡い言い方をしたのはわたしの方だ。これ以上求めてはいけない。
でも身体は正直で、ゆるゆると立ち上がったわたしは口の端から溢れてくる唾液をじゅるりと啜り上げてハイセくんの洗濯物をぐっと掴んだ。
抑制剤はもう飲んでる。それでも効かないってことは、もう薬じゃどうしようもないってことだろう。
「はーっ……はぁ……っ……」
ぽーっとする頭のまま、ずるずると階段を上がって三階へ。みんなの寝室が並ぶ中を力なく歩いて、わたしの部屋ーーではなく、その隣の部屋に這入る。鍵がかかっていないのをいいことにドアを開けた先は、ハイセくんの部屋。部屋の中に足を踏み入れてすぐ、わたしの脳みそが蕩けて、思考能力が失われていくのが嫌でも解った。琲世くん、ハイセくん、はいせくんはいせくんはいせくんはいせくん……!!
力が抜けていく。ハイセくんの上着を手にしたままぼすんと倒れ込んだベッドは、まるでハイセくんがわたしを抱きしめてくれているみたいで……有り体に言って、興奮した。
「ん……?」
おかしいな、玄関の電気が点いてない。
ちゃん、どこかに出かけたのかな? でも彼女は基本的に夕方になったら外に出ないようにしてるし……出かけるという連絡ももらっていない。どうしたものかと考えつつ鍵を取り出し、ドアを開ける。家の中に入った瞬間、ぶわり……と、僕の身体を甘ったるい匂いが襲った。
「ああ……道理で……」
……瓜江くんとシラズくんは病院で採血、才子ちゃんとトオルくんは鈴屋班でミーティング。時間は、稼げるはずだ。
鼻赫子なんて茶化すくらい、僕の嗅覚は優れている。ちょっとでも気を抜いたらもっていかれそうなほどに家の中を甘い匂いがーーちゃんの、オメガとしてのフェロモンが占領していて、正直キツい。奥歯を噛み締めてリビングまで行き、彼女のピルケースとミネラルウォーターのボトルを引っ掴む。洗濯機が洗濯を終えた光をちかちかと点滅させていたけれど、ごめん無視。かなりキツかっただろうにちゃんと洗濯を終わらせてくれていたちゃんに感謝しつつ、三階まで階段を登りきった。奥へ進めば進むほど彼女の匂いが濃くなって……ん、あれ?
「……僕の部屋?」
もし匂いに色があったとしたら、これはきっとピンク色をしているだろう。そんな桃色の匂いが漏れてくるのは彼女の部屋ではなく、僕の部屋だった。どうしたものかと思いながら自室のドアを開けると、僕のベッドの中心で猫みたいに丸まったちゃんがすよすよと眠っている。その姿を見ただけで、びくん、と心臓が跳ねた。
「ちゃん……」
ドアを閉めて、後ろ手で鍵をかける。かちゃんというサムターン錠の音さえ僕の理性を引き止めてくれやしない。
ベッドで眠っている彼女は何かを胸に抱いていた。よくよく見ればそれは昨晩僕が出した洗濯物だ。黒いシャツと部屋着、それからカーディガン。発情期のオメガはアルファの匂いがする物をかき集めて「巣」を作ることがある。自分を守ってくれる存在であるアルファの匂いに包まれることで安心する、とかなんとか。つまりちゃんにとって安心できる匂いは、僕の匂いということだろう。
「……っ」
噛み痕のない綺麗なうなじを見て、罪悪感がどっと押し寄せてくる。いつ死ぬか解らない僕が、彼女の人生を縛ることなんてできない。ちゃんの運命の番が僕である保証はない。そもそも佐々木琲世は作られた存在だ。いつ消えるかも、解らないのに。
それでも彼女は僕のことを認めて、?ぎ留めてくれている。
今すぐにでも彼女を組み伏せて、うなじに噛みつくことができたらどれだけいいことか。白い肌に赤い歯型が浮かんで、しばらくしたら首輪みたいにぐるりと痣が現れる。ちゃんが僕の番になったことを示す痣が。けれどそれを僕がすることはできない。だからせめてもの気持ちを込めて、伸ばした手で彼女の首に触れる。心の奥底から浮かんでくるのは独占欲と、それからーー食欲。
ちゃんを食べたいという、僕の喰種としてのはしたない欲望。
「っく……ダメ、だって……」
彼女を傷つけるわけにはいかない。僕はネクタイを緩めながらベッドに腰かける。……うん、大丈夫。僕も正直理性が吹き飛びそうだけど、まだ、平気。いざとなったら腕でも折って理性を引っ張り出すしかない。例え彼女が望んだとしても、僕は彼女を縛り付けるわけにはいかない。きっと後悔する。今だけを見て生きていられるような存在じゃないんだ、僕は。
「……ちゃん、起きて……」
できるだけ平静を装って、穏やかに眠る彼女を揺する。余程僕の匂いが好きなのだろうか。嬉しい反面、恥ずかしくもあるけど……。ゆっくりと瞳を開いた彼女は、すん、と手にしていたシャツに鼻先を擦り付けた。
「ちゃん」
「……はいせ、くん……?」
「うん。ただいま、ちゃん」
頑張って作った笑顔でそう告げれば、彼女は次第に目を大きくして……それから、現状に気付いたらしく顔を一気に赤らめた。はいせくん、と僕の名前を呼ぶ口がはくはく動いている。
そんなちゃんを見ながらピルケースを手に取り、抑制剤を二錠。彼女が何かを言う前に口に押し込み、ペットボトルに自分の口を付ける。僕の口の中に流れ込んだ水をそのまま彼女の口へ。無理矢理流し込まれた水によってごくり、ちゃんは薬を飲み込んだ。
「は……いせ、く……っ」
「……ごめん」
いっぱい謝るから、今は許して。
ペットボトルをサイドテーブルに置いて、そのままちゃんをシーツに縫い留める。くちに?みついて、口腔を貪る。喰種のアルファにとって、人間のオメガはきっと恰好の食料なんだろう。ただの人間以上に美味しい「モノ」なのだから。それを理解すると僕の中でちゃんに対する食欲や征服欲がじわじわと広がっていく。……けれど僕は彼女のことを、大切にしたいから。いつか終わりがくる関係なのだとしても、今だけは。
「はふ……っ、あ、ぁう……っ、ふ……!」
唾液さえも、甘ったるい。
こんなところ絶対に才子ちゃんたちに見つかるわけにはいかないな、なんて思いながらちゃんの口の端から落ちていく唾液を舐め取る。とろんと融けた瞳の奥に映っている自分はどこまでも捕食者の顔をしていて、少しだけ嫌になった。
「はいせくんっ……ふぁ、あ……っ、はいせくんっ、はいせくん、はいせくん……っ」
れ、と出された舌にかぶりつく。抑制剤を飲んでもなお、ちゃんの熱がおさまる素振りはない。肩口に噛み付いて、白い肌に痕を残す。絡めた手の甲にちゃんの爪がちくりと刺さった。
絶え間なく呼ばれる自分の名前にくらくらする。ちゃんが僕の名前を呼ぶ度、自分が最初から佐々木琲世であれば良かったのに、なんて思ってしまうから。全部かなぐり捨てて、佐々木琲世として生きていく道を選べたらどれだけ幸せなことか。そうしたら真っ先に彼女のうなじに噛み付いて、一生消えない痣を、ちゃんが僕の番だという証を刻んでやるのに。
「はい、せくんっ……」
耳元に寄せられた彼女の口がぱくぱくと空気を食んで、それから音を紡ぐ。欲に飲まれた彼女が告げる、僕が一番欲している言葉。
ーーはいせくん、たべて。
「〜〜ッ……!」
けれどそれを受け入れてしまってはいけないのだ。ちゃんのうなじに噛み付いて、やわらかいところに触れて、それから。そんな欲に塗れたことをしてしまうことはできない。だから代わりに、噛みつくようなキスをする。
ねえ、ちゃん。
どうして僕たちは、出会ってしまったんだろうね?
2018.07.01 柿村こけら
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