FGO
エスコートは食堂まで
「……マスター?」
部屋の外から声をかけてみるが反応はない。もう一度呼んでみても変化はないようだった。
シャルル=アンリ・サンソンにとってマスターとは、ただの魔術師ではなかった。フランスで狂化を与えられた自分を止めてくれた彼女は、カルデアに来てもなお他のサーヴァントたちよりサンソンに割く時間が多い。彼女の相棒であるマシュ・キリエライトに言わせれば「先輩はサンソンさんのことが大好きですから」とのことであったが。
自分は愛情を受けるような人間ではないと、ずっと思っている。
人殺しの家に――もちろんそれは、好きで殺していたわけではないのだが――生を受けたときから。生前の彼は妻帯者であったし、妻を愛していた。けれどこうしてサーヴァントとして二度目の人生を与えられてからは、やはり思い返してしまうのだ。国家の狗として剣を振るい、王と王妃の首さえも斬り落とした。そんな自分に愛情など与えては、相手の方が腐ってしまうのではないか。そう心配してしまう。
「……」
どうしたものか、しばしの逡巡。手にしたマグカップになみなみと注がれたココアはこのまま放っておいたらすぐに冷めてしまうだろう。意を決して、サンソンは右手をドアの横にある認証キーに当てた。マスターの部屋は基本的にサーヴァントであれば誰でも入れるようになっているが、緊急時を除いて彼女が眠っているときには登録された者しか解錠できないように設定されている。そしてそこに登録されている数少ないサーヴァントの一人がサンソンだ(他にマシュとダ・ヴィンチ、それからその日のマイルーム担当のサーヴァントが登録されている)。サンソンの魔術回路をスキャンしてすぐ、ドアが横に開く。質素な部屋の中心、ベッドに横たわる女性はどうやら疲れて眠ってしまったらしい。無理もない。つい先日も新たな特異点が発見され、その処理に追われていたのだから。
ドアのロックをかけ、サンソンはミニテーブルにトレーを置く。乱れたシーツの上で眠る彼のマスターは、カルデア指定の制服のベルトを緩めてくぅくぅ眠っていた。インナーのTシャツの裾は捲れてしまっており、腹がちらりと見えていた。まったく、風邪を引くといつも言っているのに。眠る前に着替えさせなくてはと思い、髪を乱したまま眠る彼女に近寄る。黒いタイツを穿いた足はブーツに突っ込まれたままだ。恐らくはベッドに座って、そのまま倒れでもしたのだろう。
「マスター、起きてください。風邪引きますよ」
「んぅ……」
肩を掴んで揺さぶってみるが、起きる気配はない。仕方ない、と溜息を零して背中に腕を回す。ぐいっと身体を持ち上げれば、身体の下敷きになっていた右腕からぽろりと何かが落ちた。
「……まったく、」
床に落ちたものを拾い上げる。それは彼女が日本からこちらに持ってきた物の一つ――カッターナイフだった。可愛らしいデザインのそれは愛用品だといつだったか言っていたのを思い出す。飛び出したままの刃をちきちきとしまいながら投げ出された身体を見れば、案の定左の肘から手首にかけて無数の横線が走っていた。続いて室内にあるゴミ箱を確認すると、サンソンの予想通り、そこには空になった錠剤のパッケージが無造作に突っ込まれている。洗面所に置いてあるマグカップは濡れているし、薬を服用したのは間違いないだろう。確か昨日確認したときは、まだ十錠あるうちの四錠しか飲んでいなかったから――一気に六錠を飲んだことになる。道理で。
毒に対する謎の抗体をもつ彼女は、当然ながら薬も効きにくい。副作用もあまり出ないが、それでも規定以上の薬を摂取することがいいわけはない。サンソンの時代にはなかった物だが、あまりにも彼女がそれらを必要とするので専門的な知識を身につけてしまった。――「ちゃん、薬ないとダメだからねぇ」そう言ったドクターは、カルデアにもういない。
先日アストルフォに塗ってもらったとかいうマニキュアはもうすっかり剥がれていた。つい三日ほど前には水色に塗られていたはずの指先。薬を飲んだ前後に自分で剥いでしまったのだろうということは容易に想像がつく。ガタガタになった爪の下、いくつかの指先からは血が滲んでいた。
「マスター、起きてください」
幸いにも睡眠導入剤は服用しなかったらしい。目元が腫れているあたり、泣き疲れて眠ってしまっただけだろう。ベッドに腰かけて身体を抱き寄せる。その身体はサンソンより小さく、細い。左腕に走る赤い傷跡も、ぼろぼろになった爪も、腫れぼったい両目も。全てが彼女のストレスを物語っている。この部屋の中でだけ、彼女は「世界を一度救った人類最後のマスター」ではなく、「ただの」という存在でいられるのだ。
世界を背負うのに、この背中は小さすぎる。
けれどその背中に、人類は縋らざるを得ないのだ。だって彼女以外に世界を救える者がいないのだから。人類史を生きてきた者として座に登録されている自分たちサーヴァントには世界を救う必要がある。そのためには、契約を交わした彼女に力を預けるしかない。
「、」
滅多に呼ばない本名を呼ぶ。懺悔の気持ちを、まさかサーヴァントになってまで抱くことになるとは。世界で二番目に処刑を行った男。フランスの崩壊を食い止めた男。ムッシュ・ド・パリーーフランスの男。サンソンの霊基には、そんな情報が与えられている。二度目、あるいは三度目の生を過ごすための情報。今でもサンソンの首を絞めてくる彼の経歴を、彼女は笑って受け止めてくれた。「頑張ったね、サンソン」とーーそんな言葉を、果たして自分は告げられたことがあっただろうか?
「……さんそん、」
目を開いた彼女の声が枯れている。この部屋は防音だ。きっと泣きながら叫んでいたのだろう。
――世界への怨嗟を。
――救えなかった者への懺悔を。
「今日は眠れないんじゃないかと思って、ココアを持ってきました。飲みますか?」
「……うん」
いつもなら叱っているところだが、今の彼女にそれをしてやるのは気が引けた。覚醒したに回していた腕を離し、ココアのマグを持って戻る。まだ湯気の上がっているココアに口を付けると、彼女は弱々しく微笑んだ。
「おいしい。ありがと、サンソン」
「どういたしまして、マスター」
今日は一体何がトリガーだったのだろう。カルデアの初期メンバーかつ医療班・マスターの主治医として彼にはのパーソナルデータが他のサーヴァントよりも多く与えられているが、彼女のことをよく知っていても察せないことはある。情緒不安定な彼女が躁状態から鬱状態に切り替わるトリガーは日々変わるからだ。些細なことで、彼女はすぐに壊れてしまう。それでも崩れ落ちるのは部屋に入ってからと決めているらしいが。
「ごめんね、約束破っちゃった」
「……」
何と返したら良かったのだろうか。言葉に詰まっている間に、自分の分のココアを飲み干す。それから室内に備え付けてある救急箱を取り出し、消毒液とガーゼとを広げた。自身のスキルで怪我を直すことは可能だが、は直接手当てされることを望んだ。マスターの意向だ、歯向かう理由もない。それにさしたることではないと考え、サンソンはいつもこうして手当てを行っていた。
「爪は剥いじゃったし、リスカとアムカもしちゃった。ODした上に泣き腫らして声はボロボロ。こんなバカが世界救わなきゃいけないんだもんなあ」
「……あなたは、悪くない。今日もちゃんと頑張っていたじゃないですか」
「あはは……そう見えてるのなら、いいんだけどね」
傷の上に包帯を巻いていく。慣れた手つきを見ている間、彼女はずっと乾いた笑いを零していた。
二〇十七年はもうすぐ終わる。しばらくしたら魔術協会から派遣された魔術師たちが手柄を少しでもいいから得られるように、この施設を隅から隅まで調べ尽くすのだろう。それが終わったら、彼女はもう用済みのハンコを押されてしまう。サンソンたちサーヴァントは座に還るだけの話だが、彼女はもしかしたら記憶を消されてしまうかもしれない。世界を救ったことなんて誰にも覚えていてもらえず、世界に切り離されたように生きていく。元々精神的に安定しないは、ふらっと消えてしまいそうでさえあった。
「サンソン?」
「……僕は、忘れませんよ」
「え?」
「あなたが僕たちのマスターであったこと。焼却された人理を修復したこと。数々の特異点を駆け抜けてきたこと。それから――僕の二度目の生に、生きる意味を与えてくれたこと」
「〜〜っ!」
彼女がいたから、こうしてサーヴァントとしての生活を続けることができた。辛いことだって、もちろんあったけれど。それでも耐えてこられたのは、マスターがこの女だったからだろう。
「ですから、心配しないでください。どうしても辛かったらカッターを出す前に僕を呼ぶこと。……僕たちサーヴァントの強制退去日も決まってしまいましたが、それでも……」
ダ・ヴィンチに告げられた言葉を思い返して、喉奥が苦くなるようだった。これは普通の聖杯戦争とは違う。聖杯戦争なら何の後腐れもなく座に還ることができたかもしれないが、どうにもマスターや彼女を取り巻く環境に対して愛着をもちすぎた。いっそ受肉でもしてやろうかなんて、そんなことを思いもしたっけ。
「それでも、マスターと過ごせる最後の瞬間まで、僕はあなたの味方です」
「うぅ……っ、さんそん……っ」
「聖杯戦争にあなたが巻き込まれるのは好ましいことではありませんが……もしまた会えたら、そのときだってあなたを支えます。。あなたは僕のマスターですから」
正直言って、彼女が聖杯戦争のマスターとなることはないだろう。自分がサーヴァントとして喚ばれる可能性はあったとしても、魔術回路もロクにもたない一般人同然のがマスターに選ばれる可能性は低い。
「……また会いたいな。ちょっとでも可能性があるなら……だってあたし、もうサンソンなしじゃちゃんと生きられないよ」
「またそんなことを」
「本当だもん。サンソンがいなかったらきっと毎日リスカして、毎日ODして、さっさと死んじゃうと思う。だからあたしが死ぬより前に会いにきてね」
「無茶を言う」
「ふふっ。……あはは、ありがとねサンソン、落ち着いたよ。やっぱりサンソンがいなくなっちゃうの、寂しいな」
「僕もマスターの世話を焼けなくなると思うと悲しいですよ」
心にもないことを、なんて彼女は言う。けれどサンソンの本心であった。手のかかる女であったが、嫌ではなかった。彼女が次第に自分に依存しつつあることは解っていて、解っていたからこそ甘やかしてきた。ロビンフッドには「オタク、そういうとこですぜ」なんて揶揄われもしたが。
カルデアの紋章が描かれた制服を纏った姿ばかりを見てきた。彼女がその制服を脱ぐときに、自分はもう隣にいないのだろう。
「なんかホッとしたらお腹空いてきちゃった。サンソン、クロックムッシュ食べたいなー」
「ブーディカに叱られますよ」
「全部あたしのせいってことにしていいから! ね、お願い!」
「まったく……今回だけですからね、」
立ち上がってマグをトレーに乗せる。やった! と、さっきまでのテンションはどこにやったやら彼女は嬉しそうにその場で跳ねた。
ねえサンソン、と救急箱の片付けをする背中に声がかかる。
「ご飯もね、サンソンと一緒だから美味しいんだよ。だからもしカルデアを出てから会うことがあったら――色々、食べに行きたいな」
「随分壮大な計画ですね」
「言ったもん勝ちでしょ、こういうのは!」
ふふ、と笑うのそれは、きっと強がりだったのだろう。未来を見据えた上で騙さねばならないのは自分の心だ。酷いなあ、と思う。けれどサンソンは彼女の言葉に頷き、トレーを持っていない手をおどけた顔して差し出してみる。目をぱちくりさせた彼女はすぐにサンソンの意図を察したようで、そっと自分の手をサンソンの手に乗せた。
エスコートは、食堂まで。
2018.06.29 柿村こけら
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