PSYCHO-PASS

掬えるとおもう

 こんな日に出動要請なんてついていない。そんなこと公安局の犬である自身が言えたことではないのだが、それでも非番だったはずなのに急遽駆り出された身としては文句の一つや二つ許してくれとドミネーターを抜きながら宜野座は思った。
 廃棄区画の片隅、そこに潜在犯が人質を取って立てこもった。本来なら三係が出動するはずだったのに、たまたまその三十分前に別の事件が発生し彼らはそちらに向かってしまったのだ。禾生から呼び出しを食らった一係は仕方なしに部屋を出て今に至る。
 自分たちは非番と言っても外に自由に出ることは出来ない。しかし宜野座たちの飼い主である二人は自由に外へ出掛けることが出来るし、現に霜月は高校時代の友人と映画を観ている途中だったらしい。観終えることなく駆り出された彼女の眉間には普段の五倍くらいシワが寄っていた。
「宜野座さん、私と雛河くんと三人で奥から回ります。須郷さんたちは霜月監視官と一緒にあちらから。マッピングは唐之杜さんが済ませていて、巻き込まれている人質のストレスケアはさんが準備しています」
「……了解した。霜月監視官の調子がこれ以上悪くなる前に終わらせよう」
「賛成です。――みんな! 準備はいい?」
 常守の指示で別れた宜野座たちは区画を回り込んで裏口へ向かう。埃っぽいだけじゃなく、異臭を放つ液体が道に散乱していてかなり危険だった。

『……朱ちゃん、ギノ、翔くん。聞こえてる?』
。マッピングは唐之杜の仕事では?」
『なんかあっちの地形がかなり悪かったらしくて付きっ切り。代わりにこっちは私がサポートします。あ、そこ左』
「了解!」
 走りながら宜野座はちらりと手首を見遣る。そこに鎮座する腕時計の針は二十三時半を過ぎていた。小さく舌打ちをして彼は視線を戻す。薄暗い夜の中、先頭を走る宜野座はついに降り出してしまった雨を鬱陶しそうにしながドミネーターを握っていた。
『弥生たち着いたって! 朱ちゃん、その角を右に行ったら後ろに回れるはず。後は……』
「囮の霜月監視官たちの頃合いを見て執行。ですよね?」
『その通り。潜在犯の方は解らないけど、潜り込ませたダンゴムシの簡易色相チェックによると人質はまだ大丈夫だから、そっちは私に任せて』
「はい! ……宜野座さん、雛河くん、行きましょう!」
 常守の指示で先に宜野座が物陰に隠れる。同じタイミングで、霜月たちが潜在犯の男にドミネーターを向けた。息を潜めてタイミングを待つ。まだだ。宜野座たちに気付いていない男は背後ががら空きで、これならいつでも撃てる。
「公安局です。大人しく投降してください。人質のストレスケアも必要です」
「うるせぇ! こいつらは助かるくせにおれは助からねぇって言うのか!!」
「そんなことはありません。公安局のカウンセラーが現着しています。あなたが今すぐ投降してくれればカウンセラーがあなたのことも診てくれます」
「じゃあそのカウンセラーを出せ!! 今すぐおれの色相を治せ!!」
 ぎゃんぎゃん吠える男の手にはナイフが握られている。その刃先は縛られた少女の頬に添えられており、いつでも殺すことが出来るといった感じだった。霜月はそんな男を心底鬱陶しそうな顔で見ながら、須郷に指示を飛ばしてスピーカーを持って来させるとスイッチを入れた。幾つかのホログラムウィンドウが浮かび上がり、そこから音が聞こえてくる。
『公安局所属カウンセラーのです。あなたは大人しく投降してくださればカウンセリングが効くレベルの色相です。だから……』
「ホログラムじゃねえ、本物を連れてこい! どうせこれだって録画映像なんだろ!!」
『いえ、私は外のバンからこの映像を……』
「文句言ってんじゃねえ! こいつらが殺されてもいいのか!!」
 画面の向こうではぎしりと歯を噛んだ。やがて座っていた椅子からゆっくり立ち上がると、白衣の裾を翻して机の上の書類を手に取る。
『そちらへ向かいます。早くても十分は掛かりますので、それまで動かないでいてください』
 こつこつというパンプスの音が遠ざかっていく。霜月は舌打ちをしながらスピーカーのスイッチを切り、それから溜息を一つ零してドミネーターのトリガーに指を遣った。

分析官、大丈夫ですか?」
宜野座の後ろに隠れた常守が通信を入れると、だいじょーぶ、という軽い声がデバイス越しに聞こえてくる。
『朱ちゃんたちの包囲あるし、どっちにしろカウンセリングはしなくちゃいけないからね。……っと、日付越す前には片付けたかったかな』
 の言葉に宜野座は時計を見る。蓄光塗料の塗られた針は零時十五分前を示していた。


 それから十五分程して、白衣を着たが霜月の横に並んだ。
「ね? ちゃんといるでしょ」
「カウンセリングを始めろ!」
「そうかっかしてると色相濁るだけよ。ええと……島本さん。これからちゃんとカウンセリングを受ければあなたは社会復帰が可能なギリギリのラインにいます。ここじゃ設備が整ってないのは解りますよね。ですから、私と一緒に来てくれませんか?」
「……お前もおれを施設に入れるつもりか」
「いいえ。私はカウンセラーですから、一人でも多く施設から出すのが仕事です。あなたも、あなたの横にいる人質さんも、元々は綺麗なサイコパスだったんですから」
「…………」
 ナイフの先が女性の頬から外される。こつん、パンプスを響かせては手に何も持たず潜在犯の近くに歩み寄った。思わず誰もが息を飲む。彼女の仕事がそういう仕事だと解っているし、今に始まったカウンセリングの仕方ではないけれど、それでも心配してしまうことに変わりはない。
「『ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの』……自分のよいところ、一人じゃ難しいなら私も手伝うからさ。一緒に探していこう?」
 が男に手を伸ばす。彼女が潜在犯に対して好意的に接するのは演技ではなく心の底からだ。そういうことが好きだから、彼女はカウンセラーという職に就いている。
「だ、れが……ッ!」
 差し出された手に、ナイフが突き刺さる。その瞬間後方から宜野座が放ったパラライザーが男の頭にブチ当たり、ナイフから手を離した男はその場に崩れ落ちる。
「ッ確保! 分析官大丈夫ですか!!」
「あはは、タイミング読み切れなかったか」
「笑ってる場合じゃないだろう馬鹿! 常守監視官、こいつの手当てをしに行っても構わないか」
「どうぞ。さん、私が何か言っても多分効かないでしょうから宜野座さんにお任せします」
「ありがとう。行くぞ

 怪我をしていない方の腕を取って宜野座が歩き出す。監視はいらないのかと思いつつもは血の滴る手をぶら下げながら宜野座の後ろを歩く。ズキズキと刺さるような痛みがするが、耐えられない程ではない。
「……、」
「なぁに、伸元」
 ギノ、とは返さずに彼女は立ち止まった宜野座の方を見る。腕時計の針は重なってから五分ほど経っていた。
「折角の誕生日に、何をやってるんだお前は」
「いやでも仕事だし……それにちゃんと伸元が撃ってくれるって信じてたから」
「……ワンテンポ遅れた。悪かった、俺が……」
「いーの。それより伸元、ありがとね」
 掴んだだけの手を一度振り解いて、それからは指を絡める。もう片方の手は痛いままだったけれど、それでもちょっとだけ痛みが和らいだ気がした。



2015.09.05 柿村こけら

太宰治「女生徒」


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