ステアリングウィズレイン

16:ステアリングウィズレイン

「……父様、母様。只今戻りました」
 長い長い帰路を経て着いたのは、山奥にある村の中に佇む一軒の家。夏休みや春休みのタイミングで様子を見に帰ってきていたけれど、それ以外で門をくぐるのは初めてだ。茅葺屋根の少し大きめの家の横には畑があるけど、最後に見たときよりも規模が小さくなっている気がする。畑を耕しているのは母だけになってしまったから、作る量も減らしているのだろう。
 からからと引き戸を開ければ、すぐそこに少し痩せた母がいた。父はまだ奥で寝ているのだろうか、姿は見えない。
「ああ……。歩いてきて疲れたでしょう。今、お茶を淹れるわ」
「母様……あの、父様は? 私、学園を辞めてきたわけではありません。事情を聞きに来ただけなんです」
 私の言葉に、ぴたりと母の動作が止まる。てっきり私が荷物を全部纏めて帰ってきたものだと思ったのかもしれない。うちは昔から父の言うことは絶対だし、まさか私があの手紙を守らない可能性なんて微塵も考えなかったのだと思う。
 母は気まずそうな顔のまま何も言ってくれない。どうしたものかと立ち止まっていると、不意に閉めたばかりの扉が開いた。
「おーい、帰ったぞ! ん? ?」
「……父様」
 私が玄関から動けずにいると、大きな包みを持った父が外から帰って来た。まさか、歩けるほどに快復しているなんて。それに、荷物だって持てている。春先に帰ったときは布団から出ることさえ叶わなかったのに、こんなに元気になるとは思いもしなかった。
 父は荷物を置くと、立ちすくんでいた私を抱き寄せる。細くなった手に抱き締められても、幼い頃と違って嬉しくもなんともない。今私の胸にあるのは、父に対する不信感だけだからだろう。
。今まで辛い思いをさせて悪かった。年頃の女の子なのに男装して忍術学園で暮らすのは大変だし、辛かっただろう」
「……大変だけど、辛くはないよ。はち……同室の子や、仲間は優しいし」
「そうか。でも、もう父さんみたいな忍を目指す必要はないぞ。いい方法が見つかったんだ。ほら、ご覧!」
 言いながら、父は床に置いた荷物を広げ始める。一体何が出てくるのだろうと訝しげに父の動作を眺めていれば、布の中からは彩り鮮やかな着物が現れた。
「これって……」
「ああ! のために街で仕立ててもらったんだ。どうだ、綺麗だろう?」
「そうじゃ、なくって。なんで? どうして私に今更晴れ着なんて……」
 そこにあったのは仕立てられた晴れ着だった。ハレの日に着るのに相応しいそれを見て、急激に喉が渇いていく。それを手にニコニコと笑っている父の姿が、今はとにかく恐ろしかった。
 私の気持ちなんて解るわけもなく、父はうっとりした顔で晴れ着を手に取って私に見せてくる。
「決まってるじゃあないか。の着ていた女物の着物はもう全部小さくなってしまったし、母さんの着物じゃちょっと古いだろう? 折角婚約するっていうのに、若い嫁さんにぼろの着物を着せるわけにはいかないよ」
「……は?」
 婚、約?
 確かに父はそう言った。待って。思考が追いつかない。どうして婚約? あれだけ私に忍になれと言っておいて、今度は女になれと言うのか。なら、の代わりとして女を捨てて男の姿で忍者を志してきた私の五年間は一体何だったというのだ。
「ね、ねえ……冗談、でしょ?」
「いいや、冗談じゃない。父さんが仕えていた殿様が、こちらのことを気にかけてくださってな。忍組頭……父さんの同僚だったんだが、そいつの息子が最近城に入ったらしい。聞けばの四つ年上というし、向こうも結婚には乗り気でな。そうしたら彼は私たちの義子となり、父さんは息子を城へ仕えさせているも同義になるだろう?」
「……っ、どうして……」
 同じ言葉を繰り返すことしかできなかった。
 どうして、なんで。
 そんな方法で十分だと思われるほど、私もも大した存在ではなかったというの?
 自分が城への恩を返せれば良くて、私たちのことなんて駒としてしか見てくれないというの?
 私の五年間は――なかったことになるの?
 はち、雷蔵、三郎、勘ちゃんに兵助。仙蔵先輩、喜八郎、藤内、兵太夫と伝七。七松先輩に――それから、それから。忍術学園でかけがえのない時を過ごしてくれたみんなの顔が浮かんでは消える。
 結婚するということは、家庭に縛られるということ。間違っても忍の道を歩み続けることはできないだろう。
「あ……」
 私、は。
 忍術学園をみんなと卒業すると、決めたはずなのに。
「もう先方に連絡はいっている。あちらもなかなかお眼鏡に適う相手が見つからなくて困っていたらしいし、丁度良かったのさ。、しばらくは母さんに色々教えてもらうんだぞ」
「……や、やだ」
「うん?」
 声が震える。でも、言わなくちゃ。
 確かに十四にもなれば結婚する女の子もいる。行儀見習いとしてくのいち教室に入った子のほとんどが三年生のときに自主退学するのは、十三や十四で結婚するために十二までに礼儀作法を学び終えるからだ。つまり、十四歳の私が四つ歳上の男性と結婚してもなんらおかしくはない。
 でも。
 私はまだ、結婚なんてしたくない。
「い、嫌――です。父様、私は父様のために、の代わりとして忍術学園に入りました。ですが、私はそこで大切なものを見つけてしまったのです。だから……私は結婚なんてしたくありません! まだ忍術学園にいたいんです!!」
 父に逆らったことなんて一度もない。逆らったら何をされるか解らない。でも、殴られたって構わない、後悔だけはしたくないから。
「……、」
 私たちの奥で母が驚いたような瞳で私を見つめた。母は私が父に逆らうなんて思っていなかったんだろう。母自身、父と結婚したのは私くらいの歳だったはずだ。忍務中に出会ってすぐ結婚。こんな戦の続く時代には珍しい恋愛結婚というやつで。何も私は恋をしたこともないから結婚したくないというわけでは、ないけれど。
「<、お前」
「父様、お願いです。私はまだ忍術学園でやり残したことがあるのです……!」
 そう言って――はたと気付く。
 父の瞳には光が宿っていなかった。
 さっきまであんなに楽しそうに着物を広げていた人と同一人物だとは思えないくらい、その瞳は淀んでいた。これは、そうだ。忍務中に何度も見たことのある、ドス黒い感情を孕んだ瞳。五年生になって挑むようになった課題の中で、私はそういう人と交戦したことだってある。……いや。父の瞳はそれ以上に濁っていて、私に対する感情が読めないほどだった。
「っ、ぐ……!?」
 不意に腹部に鈍い痛みが走った。私の身体は戸を突き破って外に投げ出される。会話に夢中で気が付かなかったが、外はしとしとと雨が降り始めていた。
「……
 ゆらりと父がこちらに歩いてきてようやく気付く。私の腹を抉ったのは父の蹴りだった。ずっと臥せっていたとは言え、父は元城仕えのプロ忍者。私やに体術を教えたのも父。強いのは、当然だ。
「くっ……!」
 慌てて指環から糸を引き出して臨戦体勢を取る。私はまだ忍者のたまごだけど、引退しここ数年は臥っていた父となら実力は互角になるはずだ。
――父さんの言うことが聞けないのか?」
「嫌なものは、嫌です!」
「なあ、。父さんがいいって言ってるんだ。それともは父さんのことが嫌いか? どうして結婚しようとしない。お前は女で、結婚することが女の幸せだろう?」
 濁った目で父は告げる。そんなの、決められたくない。せめて私が行儀見習いのくのいちだったならこの婚約に異を唱えることなんてしなかっただろうが、私は忍たまだ。忍術学園五年ろ組、作法委員会所属のであり、。私の五年間をなかったことにするなんて、父だろうと受け入れられない。
「そうやって……っ、押し付けないで!!」
 突撃隊長の名にふさわしく、私は勢いよく父の懐に飛び込んで足元を掬う。わらじの先に素早く糸を巻き付けて動きを封じ、そのまま体勢を整えて攻撃に入った。
「忍術学園に入学するときだってそうだった! の代わりになれ、って言ったのは父様でしょう!? 言ったこと撤回しないでよ! 私を――振り回さないで!!」
 手加減なんてして勝てる相手じゃないことは解っている。私は懐から取り出した寸鉄を指に嵌め父の脇腹目掛けて拳を振り下ろした。
「……甘いな、
 けれどその瞬間、父はニヤリと笑った。
 後頭部に衝撃が一発。続けてもう一発。薄れゆく意識の中では振り返れば、鍬を振り上げた母さんの姿が見えた。硬い部分が後頭部にぶつかって、私はドサリと地面に倒れ込む。頭から流れた血が水たまりにゆらゆらと色を付け、私の意識を遠くに引っ張っていった。



2025.03.24 柿村こけら


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