祈りは永遠に。

01:落下

 生きていることがまったくの無駄、人生なんて意味のない空洞だということにやっと気付いたのは昨日だった。我ながら気付くのが遅いものだ、と呆れる。
 朝の光が射し込む窓の外ではスズメが鳴いているが、私の生きている価値というものはどうやらそのスズメより低いらしかった。
「……だる」
 肩の少し下くらいまで伸びた髪を適当に縛ってから、私はもぞもぞと布団を出る。私の部屋は子供部屋にしては広い方だ。それもそのはずで、ここはかつて私の父が私室として使っていた部屋なのである。今から三年くらい前に父は母と離婚し、外に作っていた愛人と暮らすと言って家を出てしまい、この部屋が残された。私の部屋がないわけではなかったが、背が伸びてベッドや机が使いにくくなったこともあってここに移らせてもらっている。母は不倫されていたことにひどくショックを受け、父を思い起こさせる物が多く置かれているこの部屋には近付かないというのも都合が良かった。
 両親の仲は決して悪くなかったし、羨ましがられるほど円満な家庭だったと思う。けれどそれは全て不倫を隠すためのカモフラージュだった。よもやこれだけ妻と娘を愛している男が外に女を作っているなんて誰が思うものか。実際、私は生まれてから十五年の間そんなことには気付けなかった。実は私が母のお腹の中にいる頃から取っ替え引っ替えよそに別の女を作っていたなんて知って、母が正気でいられるわけもない。……むしろ私がこんな部屋で過ごせている方が異常なのかも、なんて。
 欠伸を噛み殺しながらクローゼットを開けて制服を取り出す。着替えることが既に面倒だが、八時過ぎにはどうしても家を出なくてはならない。セーラーの襟にスカーフを通していると階段をドカドカと上がる音が聞こえてきた。しまった、ちょっともたもたし過ぎたらしい。
 部屋のドアが壊れそうなほど強い力で開けられる――母はこの部屋に近付かないと言ったけど、それはイライラしているときを除く、というのが正しい。そして母が一番苛ついているのは、大抵平日の朝だった。
! あんたモタモタしてんじゃないわよ!!」
「……ごめんなさい、お母さん」
 若くして私を産んだということもあり、母は私の同級生の親と比べるといささか若い。そのせいもあってか化粧は濃いが、それ以上に目の下のクマを隠すのが主目的だと思う。母は夜職に就いており、昼夜逆転の生活を送っているせいもあって常に寝不足だ。
 下世話な話をしてしまうと、父が離婚の慰謝料として払ってくれたお金があるのでうちは暮らしには困っていない。むしろ、十分過ぎるほどだろう。それでも母が夜の世界で働くのは、きっと現実逃避のためだ。父が入れ込んでいたという夜の世界に身を置くことで、父や男なんて簡単に自分のような女のところに来るのだと思い込むようにしている……とかなんとか(これはカウンセリングの先生に相談したときに、コッソリ聞いたことだ)。
 そんな母のことが、私は嫌いだった。
 結果論にはなるが、私を産んだのは母だ。自分の意思で父と子を成しておいて、父が裏切ったら彼の血を引いている私のことまでも嫌うなんて。私は望まれて産まれてきたのかもしれないが、私自身は望んで産まれてきたわけではない。だから、私を産んだ責任くらいちゃんと取って欲しい。母のジェットコースターみたいなメンタルに付き合うくらいなら、産まれてこなければ良かったと心の底から思う。
 私をいないかのように扱うときもあれば、怒鳴り散らして暴力を振るうときもある。いっそ無視を貫いてくれれば、義務教育から解放された瞬間に家を出るのに。中卒で働いてもいいけど、高校なら一人暮らしをしながらバイトして通えると進路指導では聞いているし。
「今日は人が来るからさっさと学校に行きなさいよ」
「ん……」
「……何よその返事」
 しまった、適当に返し過ぎたか。後悔先に立たずという言葉はその通りで、次の瞬間母は床に積んであった雑誌を拾って私に投げ付けてきた。雑誌の角が頭に当たったけど、もう慣れっこだ。母はせいせいしたのか、小さく呻いて部屋を出ていく。
 頭をさすりながら、どうやら「お客さん」も来るらしいし、この調子じゃ家に戻るのは十時過ぎの方がいいかなあ、なんて思いかけたが、よくよく考えたら――私はこれから死ぬのだった。
 そう。
 という女は、これから自殺をするのである。
「……はあ」
 ちらりと机の上を見る。そこには決して上手いとは言えない字で「遺言書」と書かれた封筒が置いてある。セオリーに則って遺言書というものを書いてみたが、これを見たとて母は邪魔者がいなくなって、一人で暮らしていけると喜ぶ気がした。……ああいや。一人娘が死んだことでネグレクトが周囲にバレることを恐れるかもしれない。まあそれはそれで面白いからいいか。
 しかし、何も私が死を選んだのは母のせいだけではない。どちらかと言うと学校でいじめを受けているという方が割合的には大きかったりする。
……私は、クラスメイトの求める「普通の女の子」になれなかった。
 同級生の女子たちがドラマや芸能人に熱中している中、私は一人RPGや少年漫画というものに惹かれた。別にそれくらいなら異質とは言わないはずで、他にもそんな子は沢山いると思うけど、不幸なことに私のクラスにそういう子はいなくって。
 だから私は「異常者」の烙印を押された。
 人間が異質なものを排除しようとするのは本能だから仕方ない。……が、仕方ないと割り切っても、同級生から毎日のように暴言を吐かれ、ときには暴行を受けるというのはなかなか堪えるものだった。
 登校すれば机の上に菊の花が置かれた花瓶がある(わざわざスーパーで仏花を買っている姿を思い浮かべると面白い)。机本体には「死ね!」「学校来んなキモオタク」「ブス」「片親」とマッキーで書き散らされている(学校の備品って税金で買われてるんだぞ?)。教科書はゴミ箱に捨てられる(3回目からは持って帰るようにした。なので私の机の中は空っぽだ)。廊下ですれ違うと肩パンされる(あれ、向こうも痛くないのかな?)。階段から突き落とされる(シンプルに障害罪では?)。下駄箱の中に泥がぶち撒けられる(これもわざわざ泥を運んできたと思うと面白い。ちなみに私の下の川口さんの下駄箱にも泥が浸透していて可哀想だった)。……エトセトラエトセトラ。
 今の所裸の写真を撮られたりしてないだけマシかな……と思いはするが、精神的にはだいぶ疲弊している。登校したらまず菊の花を片付けて、捨てられないよう気を付けながら教科書をカバンから出し、ゴミがぶち撒けられていたら片付けなきゃいけない。一時間目の授業に入る前にそんな作業があると解っているからこそ、私は登校が億劫なのだった。
 いじめられるようになったのは二年生に進級してすぐ。一年のクラスで仲が良かった子と別れてしまったのが運の尽き。新しいクラスにいたオタク嫌いのギャル子は「ストレス解消のためのイジリ先」として私を選び、あの手この手で私をいじめてきた。両親が離婚したことは格好のネタにされた。先生に相談してもいじめは止まらず、唯一頼れるはずの母親もこんな感じなので、私はもう生きていく意味が解らなくなっていた。
 毎日が辛くて、苦しくて、早く死にたい――そんなとき、私が手に取ったゲームが『テイルズオブジアビス』だった。「生まれた意味を知るRPG」と冠されたそれをプレイすれば、こんなに人生が辛くても救いを知ることができるのではないかと思ったのだ。
 やがて、お世辞にもまるで主人公には見えないほどワガママなルークに驚きながらもゲームを進めていた私は、一目で彼に心を奪われた。
――六神将「烈風のシンク」に。
 初めてシンクが現れたとき、まず容姿が好みだと思った。次に口調。シニカルな笑いを見せる彼は、ルークやジェイドと比べるとだいぶ幼く見えたのにどこか達観したような雰囲気をまとっていて。その振る舞いに、私はデスティニーのリオンのことを思い出した。ちょっと似ているから、もしかしたらシンクにもリオンのように辛い背景があったりするのかな、なんて。
 そうして、ゲームをクリアして。
 エンディングが流れたときには涙で画面がまともに見えていなかった。ルークの、イオンの、シンクの、みんなの、「生まれた意味」に思いを馳せながら、私は精一杯生きてみようと思った。自分が何のために生まれてきたのかは解らない。ルークたちのように劇的な暮らしを送っているわけでもないし、世界は私の両手に懸かってないし。ゲームの中で定められた人生を生き抜いた彼らに比べてしまえば、私なんてちっぽけな存在だった。
 だから、頑張ってみようと思った。それでも、まずはこの辛く苦しい日常でも生きてみようと――そう、思ったけど。
 でも、駄目だった。
 学校に行く度、死にたいという気持ちは強まった。
 母に殴られる度、死にたいという気持ちが高まった。
 アビスを周回プレイしても、死にたいという気持ちが生まれた意味を探したいという気持ちを上回る。
 だから。
 だから私は――死を、選ぶことにした。


「『生まれた意味』かぁ……」
 カバンを置くために教室へは寄らず、私は屋上へと上っていた。屋上の扉は普段施錠されているが、実は抜け道がある。うちの学校は屋上に天体望遠鏡があるのだが、それを自由に使えるようにと天文部の部室には鍵がなんの警備もなしに置いてあるのだ。基本的には部活や天体観測のために使うものなので、まさか天文部員も教師たちも部外者にその鍵を使われるとは思っていないだろう。
 カバンを床に置く。どうするか迷ったけど、「自殺」のイメージ通り、私は靴を揃えて置いた。実際には突発的に飛び降りる人が多いからこういう風に靴が置かれているのはドラマのイメージが強いだけとかなんとか聞いたことがあるけど、セオリーっぽく遺言も書いたし、最後まで則った方がそれらしいだろう。
「よい、しょっと……!」
 屋上のフェンスをなんとか乗り越える。風がふわりと吹いて、私の横髪を揺らして抜き去っていった。後ろ手でフェンスを掴むと、私はちらりと眼下を見遣る。校舎は五階建てだし、下に植え込みなどはない。落ちたらコンクリートに激突して間違いなく死ねるはずだ。
 後は死ぬだけ。やっぱり「自分がなくなる」と思うと怖いし、泣きたいし、やめたくなる。でも、でも、でもでもでも! ……生きていて辛いんだから、それから解放されたいよ、私。
「……シンクは、怖くなかったのかな」
 思い出すのは地核にシンクが落ちるシーンのこと。タルタロスの甲板から身を投げた彼は、その命が終わることを恐ろしく思わなかったのだろうか。この期に及んで死に損ないだと自嘲した彼のことを考えるなんて、思ったより私は余裕があったりするのかも?
 頭をゆるく左右に振り、私は目を閉じて深呼吸をする。怖いけど、引き返すのはもっと怖いから。数秒後には机の上に置かれた菊の花が本当の意味になって、せいぜい遺言書にぶちまけたいじめの証拠で高校の推薦を取り消されちまえ、バカ共め!
 一歩、踏み出した。
 口から何気なしに零れたのは譜歌。死んでしまったら二度とティアの歌を聴くこともできないんだな、と思いながら重力に従って私の身体はフリーフォール。
――もしも生まれ変われるのなら。
 生まれ変わって、新しく生まれてきた意味を知ることができるのなら。
 そのときはどうか、アビスのような、苦しいけど最後にひかりを掴めるような素敵な世界に生きたい。生きる希望を持てる世界に生きたい。
 ローレライ、ユリア。どうか――どうか、私を導いて?
 地面までの時間がやけに長く感じたけれど、たぶん私は途中で意識を手放してしまった。
 さようなら、生まれた意味の解らなかった人生!



2025.12.15 柿村こけら



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