祈りは永遠に。
32:灯火
「ん……ぅ、んんん……?」
聞き覚えのあるメロディが私の耳朶を打った。這うようにして布団から出て、私は目覚まし代わりの携帯を手に取る。アラームの終了を選べば曲は止まり、そのまま霞む目を軽く擦った。と、そこで気付く――どうやら制服のまま眠っていたらしい。学校から帰ってきて、全部めんどくさくなってそのままベッドに入っちゃったのかも?
……なんだか、長い夢を見ていたような気がする。
手にしたままの携帯の待ち受け画面には大好きな緑色と時刻が表示されていた。
何も変わらない、いつもの朝だ。父はいないし、母も「仕事」に出かけたまま帰ってこない。家には私一人だけ。
今日は学校、どうしようか。久し振りに朝から教室に行ってやろうか。学校なんて嫌いだし、勉強は家でもできるけど、こんなの卒業してしまえば全部リセットできる。苛められてるのに登校しているのは、結局のところ卒業して、誰も私を知らない新しい学校に入学さえすれば生き延びられると思っているからだ。まあ、そのための道がすっごく辛いんだけどね! 物はなくなるし、陰口叩かれまくるし、先生には嘘を言われるし、プリント回してもらえないし、トイレに行くこともできない(行ったら席を離れている間に私物が捨てられるし、個室のドアを散々蹴飛ばされて耳が痛くなるし)し!
な〜にが「いじめ」だっつーの。立派な暴行傷害事件だろうが。でも学校は問題にしたくないから見て見ぬ振りだし、お母さんもそんなことより男捕まえるので忙しいし、私は何にもできやしない子供だから、卒業するまで環境を変えることはできない。無力な自分にもイライラする。
「クッソ……みんな死ねばいいのに……」
稚拙な呪詛を吐きながら私は家を出た。外に出てすぐに胸の辺りに違和感を覚えて、歩きながら中心を抑える。何故かは解らないがズキンと痛みたした。なんだろ。
下駄箱を開けると案の定上履きがない。また隠されたのだろうかと思い周囲を少し探したがそれらしきものは存在しなかったので、仕方なくハイソックスのまま廊下を歩いて三階の教室へと向かう。まだホームルームが始まる前だから廊下には生徒が溢れているけど、最早私が上履きも履かずに歩いているのなんて見慣れた光景なのか誰も何も言ってこなかった。あーやだやだ。こんなん見て見ぬ振りしてる奴らも全員連帯責任で推薦とか取り消されればいいのに。まあそう上手くはいかないんだろうけどーと思いながら教室の扉をがらりと開けると、クラス中が一斉にこちらを見てきた。でも私は気にせず席まで歩く。「まだ学校来るのかよ」とでも言いたそうな瞳にはもう慣れちゃったから、気にするだけ無駄だ。アンタらが私に死んで欲しいと思っているんだとしても、私は卒業単位が欲しいので登校させていただきます。
「……はあ」
机の上には、今日も今日とて厭味ったらしい菊の花が置かれていた。菊……もとい仏花って、スーパーで買っても確か五百円くらいするだろうにご苦労なことだ。花瓶までわざわざ持ってきたりしちゃって。こんな幼稚ないじめする奴らに推薦が出るっておかしくない?
何だか急に今までは当然だったそれが煩わしくなって、私はスクールバッグで花瓶を薙ぎ払った。ガシャーン!と勢いよくガラスが割れる音がしてすぐ、水が机の周りに零れる。
「きゃああああああっ!?」
「おい、どうした!?」
ちょうど開いたままだったドアから入ってきた担任は、驚いて立ち上がった隣の席の女の子をいて見て「何やってるんだ」と続ける。何やってるも何も、こんなベタないじめを受けてるんだからちょっとくらいやり返したって文句を言われる筋合いはない。私はやれやれとカバンを持ち直し、文句の一つでも言ってやろうと先生を睨む。
「大野の机にあった花瓶、誰が落としたんだ?」
「オレらじゃないっすよ、勝手に倒れて……」
「あ、まさか幽霊とかー!? うわ、笑えなーい。死んでからも迷惑かけんなってカンジ」
……あ、れ?
先生、と言おうとしたけれど口が上手く動かない。
「せんせー、もう大野さんの机片付けちゃったらどうですかぁ? 邪魔だし」
「……そうだな。もう使うこともないだろうし……後で片付けておくよ」
なんで、どうして。先生やクラスメイトの言葉に頭がざわつく。グラグラして吐き気が襲ってくる。使わない? 死んでから? 私は……ここにいるのに?
「大野さん死んでもう二か月でしょ? ほーんと、いなくなってくれて良かったわ」
その言葉を聞いた瞬間、パズルのピースが合わさったように私の中で何かが揃った。
閉まっているドアを殴るように力を込めて開け放って、屋上へと続く階段を駆け上がる。屋上の柵の近くには萎れた花束やお菓子が雑に並べられていた。そこに添えられていたのは「さんを悼んで」と印刷された、ラミネート済みのコピー用紙。一目見ただけで解る、「いじめを苦に自殺した生徒へのお供物コーナー」だ。でも私には友達らしい友達なんていなかったわけで……つまりこれらは偽善のために置かれたというコトだ。
そんな偽善の塊はどうでもいい。私にとって重要なのはもう一つの記憶。ドサリとカバンを地面に落として、私は恐る恐るスカートを捲ってみた。左の太腿には――赤い、証。
「っ、これ……やっぱり……」
――生きていることがまったくの無駄、人生なんて意味のない空洞だということにやっと気付いたのは昨日だった。
――それとも……『六番目のイオンレプリカ』って言った方がいいですか?
――生まれた理由を……生きる理由を、一緒に探しに行こう。
――好きだよ、シンク。世界もオールドラントも、レプリカも預言も関係ない。
――……ありがとう、シンク。私なんかを愛してくれて、本当に、
まるで川が逆流するかのように、一息に記憶が溢れ出す。
そうだ。
そうだ、私は、私は。
「死んだん、だ」
ここから、飛び降りて。オールドラントに行って、そして。
――ナイフを、突き刺して。
さっき感じた胸の痛みは、あのときの……ローレライを消したときの。
「……ははっ、笑える」
何の未練も、残っていなかったはずなのに。彼らを助けられれば、それで良かったのに。そうして消えてしまえれば、もう何も考えることなく、苦しむことなく終われるはずだったのに。
「っ……」
胸が痛かったのは、ここにナイフを突き立てたから。痛いはずだ。それを理解して、私は服の中を確認する。革紐に下がった緑色を取り出すと同時に、ぽろぽろと涙が溢れ出した。
それから、携帯を取り出して画面を確認する。ニヤリと笑う綺麗な緑色。優しい烈風。あれはつくりものの深淵ではなくて、私にとって紛うことない現実だった。
――。
私をそう呼ぶ彼の声が、記憶の最後に残っている。
「っ、シンク……!」
名前を呼んでも、応えてくれやしない。風は屋上を吹き抜けていくだけだった。
「……?」
声が聞こえた気がして、顔を上げる。不意に窓の外を見たボクに気付き、反対側で書類の確認をしていたイオンが怪訝な目をこちらに向けた。
「どうかしましたか、シンク?」
「、が……今、ボクのこと、呼んだ気がして……」
彼女の夢を見たことは何度もある。眠れない夜に思い出をなぞって嗚咽を零したこともある。だけど、今のはそれと違う。幻聴じゃない――確かに、ボクがこの二年ずっと求めていた彼女の声だった。
今ならもしかしたら、何かヒントを得られるかもしれない。悪いが書類は後回しだ。カンタビレやリグレットにとやかく言われるかもしれないが、今はそれどころではなかった。
「ボクちょっと出てくる。イオン、上手いこと誤魔化しておいて」
「え、ええ。構いませんけど……どちらに?」
「解らない……でも、きっとに縁があるところ。ダメだったら戻ってくるけど、なんとなく……大丈夫な気がするんだ」
参謀総長を務めておきながら適当なことを言っているという自覚はあったが、それ以上に何とも説明できない。イオンはゆるりと笑って引き出しを開けると、譜業を取り出してボクへ投げ渡す。
「ディストたちから預かっていた譜業です。もしかしたら使い所があるかもしれません。……気を付けて、いってらっしゃい」
フローリアンに教えた通りに「いってきます」を告げ、部屋を飛び出す。が一番長く過ごしたのは間違いなく神託の盾本部だが、ヒントはここにはないと直感的に理解した。ならどこか。が行きたがっていた場所はたくさんあるし、彼女が姿を消したエルドラント跡地も縁は強いと言えばそうだろう。でも頭に浮かんだのは、と一緒にユリアシティを出て最初に行った場所。
――あのね、私が目を覚ましたのってここなんだ。急に不思議な声が聞こえてきて、目が覚めたらここにいて。
幸いにもアラミス湧水洞はダアトのすぐ近くだ。陸路を急いでボクはそこへ向かう。じめじめした洞窟を訪れる人はいるわけもなく、ダアトに住む人間だってこの先に「ユリアロード」なんて名前を冠している道があることを知りはしないだろう。
「ユリア、ね……」
時折、ぴちゃんと雫が岩を打つ音が響いている。以前訪れたときから変わったところは特にないと思いながら洞窟の奥に辿り着いたボクは、行き止まりの壁に何となしに触れた。すると突然、キィンと音が鳴り響く。
「っ……な、に」
これは洞窟内でしている音じゃない。ボクの頭の中で直接振動を起こしている。襲いくる頭痛に頭を抑えて膝を付くと、甲高い音の奥から知らない声が届いた。
――お呼びでしょうか?
「誰……アンタ……」
聞き覚えのない声であるはずなのに、どこかで聞いたことがあるような気もしてくる。声がはっきりと聞こえてくるに従って、最初に聞こえた耳鳴りのような音は静まっていった。立ち上がらず、ボクはこめかみを抑えてその声に語りかける。
――私の名はユリア……と言っても本人ではなく、名の刻まれたこの場所に遺されている思念と言うのが正しいでしょうか。
「本当に……ユリア? アンタが?」
――ええ、証明する手立てはありませんが。私に残された機構は二つ。私の力を求めてやってきた人間にこうして接触することと、それが正しいものであれば力を授けること。あなたは、何のためにここへ? ここは隠されし場所ですから、望みがあったのでしょう?
ユリアを名乗る声は滔々とそう告げた。
望み。
そんなの、決まってる。ボクがあの日から望むことはたった一つだけ。
「声を追って来たんだ。ボクはに逢いたい。ユリアの思念だっていうなら……アンタは知ってるんじゃないの? のことを」
ボクの声にユリアは少しだけ黙ったけど、こちらの覚悟を知ってか「はい」と続ける。間違っていなかった。じゃあやっぱり、さっき聞こえた声は。
――『再誕を司りし祈念』……いえ。『』を喚んだのは、確かに私です。
「やっぱり……」
――彼女は一度目の死を、オールドラントを想いながら迎えました。私はそんな彼女に「オールドラントを救って欲しい」と頼み……そして、あの子はそれに応えてくれた。
「なら……ユリア、アンタならをもう一度オールドラントに喚べる?」
――いいえ。私の力は一方通行……あのときは、彼女が私に導かれることを祈った。だからこそ私は彼女を喚べました。
けれど、とユリアの残留思念は告げる。の存在は完全に消えたわけではないらしい。だが、今の彼女には「オールドラントに導かれたい」という気持ちが残っていないという。ローレライを解放した後、彼女に何が起きたかは解らない。だけどは諦めるような性格ではないはずだから、何かしらの問題が発生している……とか?
今はにこちらの声が届かないとしても、完全に繋がりが断たれたわけではなさそうだ。だからこそボクはさっき、の声を聞いたんだ。
「……ねえ。アンタの力は一方通行だと言ったよね。なら……ボクがの世界に行きたいって祈ったら、叶えてくれるワケ?」
――理論上は可能です。ですが、戻れなくなるかもしれませんよ? をオールドラントに喚べたのは、向こうの世界で命の灯火を消したからです。それにしたって、奇跡的に成功したに過ぎない。あなたは、それでも……
「そんなの恐くないよ。は何度も命を懸けてボクたちを救ってくれた。なら、ボクだってそのくらいの覚悟がなくっちゃね」
――そうですか。本当に、いいのですね?
ああ、とボクは短く頷いた。この命は彼女の命で繋がれたものだ。を助けられるっていうなら、ボクだって命を懸けることくらい何ともない。ボクは静かに目を閉じる。瞼に思い描くのは、愛した少女の姿。
待ってて、。そう呟いて、ボクは取り出したナイフを頸動脈に当てた。
2025.12.15 柿村こけら
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