世界の果てでは雨が止む

83:先生

「お姉ちゃん、足怪我したの?」
 マンションに戻ったところで、ロビーに座っていた少女がミラに声を掛けた。少女の視線は、ミラの足に着けられた医療ジンテクスに向けられている。
「あ……ああ」
「この子も私も循環器の病気でね、医療用黒匣を身体に入れてるの」
「お姉ちゃん、コレつけたときすっごく痛かったでしょー?」
「うむ……痛かった」
 常人なら耐えられない激痛なのだとディラックさんは言っていた。少女は何事もなかったように言っているが、ミラと同じ痛みに耐えたのだとしたら大したものだ。

「でも、ガマンしなきゃいけないんだよ。黒匣のおかげで、フツーの生活が出来るんだから!」
「そう……なのか」
 黒匣が身近にある暮らしというものを彼女は知らない。少女の無邪気な声は、今までのミラの生き方をあっさりと無意識に否定した。ミラは戸惑いながらも化石の外れたジンテクスに目を遣る。
「医療用黒匣のおかげで私たちは病気を克服出来たんだもの。少しくらいの痛みには耐えて、マティス先生の分までしっかり生きないとね」
「マティス……?」
 ちらりとジュードを見れば、彼は驚いているようだった。私が知ってても言わずにいたこと、ジュードはすぐに気付いてしまうだろう。

「私の黒匣を作ってくれた偉いお医者さんよ。でも、マティス先生は船の事故で亡くなってしまったの……」
「そう……なんですか」
 話をしてくれた二人にお礼を言って、私たちはエレベーターに乗ってバランさんの部屋に向かった。


 黙ったままのジュードの隣でミラが口を開く。
「リーゼ・マクシアにいた頃は考えもしなかった。まさか黒匣が人の助けになるとは……」
「まあ、リーゼ・マクシアにあった黒匣のほとんどはアルクノアの兵器だからね。こういう小物はそんなに持ち込まれてなかったみたいだし」
「……そうか」
 ミラはまた考え込むようにしてレイアたちの方へ歩いていった。玄関で私とジュードは二人ぽつんと取り残される。

「……母さんはル・ロンドの生まれなんだ。さっきの話……父さんはジルニトラ号に乗っていたエレンピオス人ってことだよね」
「……うん」
「じゃあ、僕はリーゼ・マクシア人とエレンピオス人のハーフってことだ」
「黙ってて……ごめん」
「ううん、いいよ。ちょっとびっくりしたけど、言われてみれば納得って感じもするし。医療ジンテクスは黒匣そのものではないけど、それに近いものだしね。それに、返ってすっきりしたんだ。リーゼ・マクシアとエレンピオス、その両方の血を引く僕が両方を助けたいと思うのは自然なことだって」
「ジュード……」
 言葉通り、本当に彼はさして気にしていないようだった。


「……あ。だから父さん、あのときアルヴィンを見て微妙そうな顔してたんだね」
 ほら、僕がル・ロンドを発つときの。そうジュードは言った。確かにあのときのディラックさんは、アルヴィンや私がアルクノアサイドの人間だということに危惧を抱いていた。
「ああでも、ディラックさんはアルクノアではないよ。ジルニトラに乗ってはいたけれど」
「そうなんだ。……ありがとう、
「ううん、どういたしまして。……私も、聞いてみることにするよ。両親のこと」
のご両親って……確か」
「うん。二人ともリーゼ・マクシアではすぐ死んじゃったから。でもエレンピオスで生前何をしていたかくらいは解るかもって」
 ジルニトラは豪華客船だ。アルヴィンたちスヴェント家、黒匣開発者のディラックさん。どちらもエレンピオスでは有名な訳だし、もしかしたら私の両親もそういう人だったのかもしれない。

 もう少しトリグラフを見てくると外に出たジュードに手を振って、それから私はひとまずバランさんが帰宅するのを待つことにした。




2015.06.27 柿村こけら



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