世界すべてに愛を捧ぐ
02:ゴールデン・ミラージュ
「響也くんは、色んなところを旅してるんだよね?」
水瓶から水を注ぎながらそう問えば、彼はこくりと頷いた。壁に背を預ける彼の後ろからは月光が差し込んでいる。亜麻色の髪と合間って神秘的に見える光景に、思わず息を飲んだ。装飾が施された硝子のグラスを響也くんに渡すと、彼は微笑んでありがとうと告げる。
旅人と名乗る男がこの街を訪れたのは昨日のこと。泊まるところが決まっていないと告げた彼を自分の家に招待したのは、ひとえに下心があったから。彼――響也くんが、旅人じゃなかったら誘ってなんかいなかっただろう。婚礼前の娘がはしたないとご近所さんには後ろ指を指されてしまうかもしれないが、今更だ。
「今までどんなところを旅してきたか、聞いてもいいかな?」
「うん、もちろん。俺は語り部……行く先々で、立ち寄ってきた土地で教えてもらったことを伝えるのが仕事だからね」
「ありがとう。あ、お代はいかほど?」
「いいよ、大丈夫。泊めてくれたお礼……っていうと、俺の方が得してるかな?」
「そんなことない。私、ずっとこの街の外の話が聞きたかったから」
にこりと微笑む響也くんはやっぱり神秘的で、私は年甲斐もなくとくんと胸を跳ねさせる。彼は荷物の中から楽器を取り出すと、足の間にそれを置いた。硬い指先が張られた弦を弾いていく。月夜に響く弦の細やかな音は、聞いているだけで心地いい。
響也くんが語り始めたのは、旅の途中で寄ったという異国の話。その街では青い鳥が売られているということで彼は立ち寄ったそうだ。この辺りではそんな話を聞かないけれど、彼の旅してきたどこかの街で「青い鳥を見つけると幸せになれる」という逸話があるらしい。青い鳥なんて、この辺りじゃ見たことがない。私は職業柄鳥の羽を扱うこともあるけど、そこで使う青い羽っていうのは染色したものだ。自然の中では珍しい青い染料を頑張って煮詰めて、そこに純白の羽をゆっくり入れていく。するとグラデーションがかかって、瓶の底に溜まった水のような色が現れるのだ。お客さんの中にはそれを「海のようだ」と評した人もいたけれど、生憎私は「海」というものを見たことがなかった。
なにせ生まれてこの方、この街から一歩も出たことがないのだから。
この街で代々続く装飾品屋として、両親が死んだ後も私は一人で店を切り盛りしてきた。どこかの街でお嫁さんを貰ったという弟たちも、それぞれの仕事が忙しくて滅多に帰ってくることはない。私も店を閉めて響也くんみたいに旅ができたらいいのだけど、この砂漠の世界で女が一人生きていくことなんて無理に決まっている。砂漠には盗賊がいるらしいと、宮殿仕えの踊り子も言っていた。今から新しい仕事を始めることもできないし、長らく装飾品を作り続けてきて独り身を貫いてしまった私を娶ろうとする男もいない。私を娶ったら、自動的に装飾品屋を継ぐ羽目になってしまうから。
響也くんの話す「青い鳥」……それが実在するとして、私はそれを追いかければ幸せになることができるのだろうか。
「けれど……売られていた青い鳥は、きっと偽物だ」
「えっ? どうして解ったの?」
「羽が濡れていただけじゃない。商人の指先が染まっていたからね。……みたいに」
楽器から手を離した響也くんは、私の手を取ると指先を月明かりに当てる。爪の間には染料が染み込み、皮膚を青く染めていた。洗えば落ちる染料ではあるが、爪の間に入ってしまったのを見逃してしまったらしい。
私の手に付着した染料は、羽を青く染めたときについたもの。つまり……響也くんが見た商人は、鳥を丸ごと染めたのだろう。何も知らない人に、幸運の鳥だと言って売りつけるために。
やっぱり都合のいい幸運なんてない。夢見たいな話は、所詮夢に過ぎないのだから。
「ふふっ」
「? どうしたの?」
「あ……ごめんなさい。夢見たいな話は、夢だから聞いていて楽しいんだなって思ったの。千の夜の間語られる物語は、次の日を楽しく過ごすためのもの。それ以上にはならない……そういうものでしょう?」
「……」
「だから、響也くんの話を聞けて嬉しいの。そういう御伽噺があることを知れただけで、私は明日も生きていける」
爪の間に入り込んだ染料は、手をしっかり洗わないと取れない。丹念に力を込めて、現れるのは現実。本当の私。
本当は青い鳥なんて存在しないのだから、夢を見ているのはこうしてお話を聞いているときだけだ。
「は、装飾品を作るのが好き?」
ぽろん……と弦を鳴らしながら、響也くんは私にそう訪ねた。空いたグラスに水瓶の中身を移しながら私は頷く。……あ、空になっちゃった。明日蒼星くんのところに行ってお水を頂かないと。雨が降らない日が続いているせいで、どこも水不足だという。水が足りない中で旅人を泊めるのはリスクが高いから、どこの宿屋も客数を減らそうとしていたのだ。だから響也くんは宿屋に泊まることができず困り果てていたわけなのだけれど。
「好きだよ。最初は、これしか私にできる仕事はなかったから仕方なく始めたことだけど。弟たちのことも食わせていかなきゃいけなかったし……でも、今は胸を張って好きって言える。それに、私の作った装飾品、結構評判いいんだ。放蕩王子……げふん、カイト様にも気に入って頂けてるし」
「そっか」
グラスを受け取った響也くんは、中身をゆっくりと口に含んだ。あ、そういえばお酒もあったっけ。もう夜遅いし、明日の夕飯のときに出すことにしよう。ゆるく微笑んだ彼は、グラスを置くと指先で頭飾りに触れる。私のところに来て、最初に購ってくれた装飾品だ。金色の鎖と、大粒の硝子細工。そこそこお値段の張る商品ではあったが、響也くんは躊躇わずに支払ってくれた。じつのところ、本気を出して作ったはいいものの売れずに困っていた品でもあるから嬉しかったりする。放蕩王子、もとい実はそこそこ仲のいい相手であるところのカイトくん(私が男性に声をかけられない理由の一つに、「あいつはカイト様のお気に入り」という噂が立っているから、というものがあったりするのだが、それは割愛)も気に入ってくれず、購ってくれなかった。いつもなら多少デザインが気に食わなくても、「まーの作ったもんだから、嫌いってわけじゃねえんだけどな」とかなんとか言って購ってくれるのだけど。私の日々の生活費の四割はカイトくんのお買い物によるものだったりするし。けれどこればかりは、私がどれだけ勧めても購ってくれなかった。頑張って作ったし、デザインも悪くないと思ってた。硝子のカットだって今までにないくらい上手くできた、というのに。
――「これは、俺様がすべきモンじゃねえな」なんて、彼はしれっと言い放った。
そんなわけで誰にも手に取られなかった頭飾りは、今こうして響也くんの砂色の髪に乗せられている。他にも素敵な品物はあったのに、私のお店の前で立ち止まった彼は一も二もなくこの頭飾りを指し示したのだ。
正直なところを言うと――かなり似合っていると思う。
作った私が言うのも変な話だが、この頭飾りは最初から響也くんのために作ったのではなかろうかと思うほどに。確かにこれは、カイトくんには似つかわしくないだろう。作ったときは響也くんと知り合いでもなんでもなかったはずなのに、こうして見ると驚くほど響也くんのための装飾品だ。大粒の硝子が月の光を受けてきらきら輝く。伸びた黄金の鎖は彼が楽器を鳴らす度にゆらゆらと揺れて綺麗だ。
「俺が紡ぐ話は、御伽噺――まやかしばかりだ。俺自身、本当にあったことなのかそれとも最初から嘘と解っていたことなのか、解らなくなる……」
「響也くん……?」
楽器をかたんと床に置いて、響也くんは立ち上がると私を抱き寄せた。頭一つ分高い響也くんの身体に抱き留められて、頬が熱くなっていくのが解る。しゃらり、金色の鎖が揺れた。アーモンドの瞳は、月によく似た幻惑的な色を秘めている。
「俺はひとところに留まることはできない。こうして交わす言葉さえまやかしだ。でも――でも、のことを、もっと知りたい」
「っ……」
「……ごめん、突然変なこと言って。俺、もう寝るよ」
水ありがとう、と言って響也くんは楽器を手に取ると案内した寝室へ歩いていこうとする。その背には変わらず射し込む月の光。狂気を表す月と一緒で、彼は今までもこんな風に誰かを罠にかけてきたのかもしれない。そんなこと解っているのに、宵に微笑む響也くんの顔が、忘れられない。嘘だっていい。彼の話を聞いて、彼のことを考えていたい――そう思い始めた時点で、私はもう彼の魔力の虜になってしまったのかもしれないけれど。
「響也くん……っ!」
腕を伸ばして、響也くんを引き止める。振り返った彼の瞳は妖しいほどに綺麗だ。
私は、彼の話す夢をまだ強請っていたい。
「、っ」
「もう少し……もう少しだけ、お話、したいな……」
明日にしようと思ってたお酒も出しちゃおう。響也くんの手を掴んで、戻るのは窓際じゃない。私の寝室へ。作りかけの装飾品や、売り物じゃない装飾品が所狭しと並ぶ部屋に誰かが入るのは何年振りだろう。
響也くん、と浅ましい声が自分の口から落ちる。これまた綺麗に装飾された硝子のグラスを響也くんに押し付けて、私は棚からお酒を取り出した。
2018.07.25 柿村こけら
Prev / Back / Next