ステアリングウィズレイン

08:小波で壊れる船だから

「……嘘、だろ」
「っ……」
、お前、」
 はっちゃんの動揺した目が、私を射抜く。
 私は何も言えなかった。私の――失敗だ。三年目に突入した、楽しい学園生活だった。でも、これで終わり。全部、終わってしまう。
 信じられないとでもいうような視線を受けて、私は顔を逸らすことさえできなかった。ただ後悔がぐるぐると頭の中を満たしていく。そんな私の前で、はっちゃんはぽつりと続けた。
「女、だったのかよ」


 実習が堪えたのか、昨晩は私もはっちゃんも泥のように眠ってしまった。いつもだったらみんなが寝静まった頃にこっそり部屋を抜け出して井戸で身体を軽く洗うのだが、それすらも忘れてしまったくらいに、私は疲れていたのだと思う。
 それに、今日は妙に体調が悪かった。特に変なものも食べていないのに腹痛に襲われたり、頭痛で集中が途絶えたり。雷蔵に付き添ってもらって医務室に行ったけれど、新野先生にも首を傾げられた。私だってわけが解らないが、とにかく一番痛むのはお腹だった。布団に包まって寝ていた私が起きたのは、ひとえにその腹痛のせい。耐えられないくらい痛くなって目が覚めたのだと思う。部屋の隅にある水時計はまだ丑の刻を示していて、日の出まではまだまだ時間があったから。
「ん……んん」
 はっちゃんを起こさないようにもぞもぞと起き上がりながら、私は寝汗で湿った布団を確認した。腹を下したわけではないのだが――何か、変な匂いがする。そっと扉を開けて、月明かりで布団を確認した。
 そこにあったのは、赤く染まった布団。そして漂ってくるのは、薄っすらではあるが血の匂い――いや、血とは少し違う。すぐに黒く乾く血と違い、それは粘り気を持っていた。
「……とりあえず、洗おう」
 血を見たことで一周回って冷静になれたような気がした。朝になってしまったら井戸は混む。今ならまだ誰とも会うことはないだろう。潮江先輩とて三年長屋までは来ないだろうし。
 生物委員が関係しているのかは知らないが、はっちゃんは獣レベルで鼻が利く。血の匂いを漂わせていたら、血相を変えてどこか怪我したのかと聞いてくるに違いなかった。心配はかけたくない。私は布団を担いで井戸に向かうと、汲んだ水で血を洗い流した。
 布団と下着とを洗い終えて、朝がくる前に寝巻きから制服に着替える。これはいつものことだ。ついたてがあるとはいえ、はっちゃんに着替えを見られる可能性は少しでも避けたいから、一年の頃からずっとそうしていた。
 キリキリとお腹が痛む中、また血が零れないように念には念をということで下着を二重にしておく。洗濯物が増えるがそれくらいは仕方ない。
 そこで、ふと、脳裏に一人の先生の姿がよぎった。山本シナ先生。新野先生は外傷がないと言ってくれたけど、もしかしてこれは「私」だから起きていることなのでは……なんて。
 女性の身体について一番詳しいのはきっとシナ先生だ。くのいち教室の先生なら――と思ったところで思考を打ち切った。「が女であること」は学園の誰も知らない。校長先生にすら黙って入学している。ここでその秘密がバレてしまったら、私は間違いなく退学からの強制送還が決定するだろう。それだけは、避けたかった。
「……っ」
 痛い。痛い痛い痛い。
 でも、奥歯を噛み締めて耐えるしかなかった。私は、みんなと一緒に卒業したかったから。最初は父に言われて入学したけど、今はもう、として過ごす時間が何よりも大切だと感じている。だから、手放したくなくて。夏休みの間家に帰るのさえ嫌なくらいだ。
 しかし私の願いとは真逆に午前授業の間も腹痛は治まらず、机に向かって正座をしているのが辛いくらいだった。顔色の悪い私を心配して雷蔵が「医務室に行けば」と声をかけてくれたけど、二日連続で新野先生のお世話になっていては遠からずして秘密が露見してしまいそうな気がするので、何とか抑えて実技の授業へ向かう。
「よーし! 今日は裏々山を走り込みだ!」
「はーい!」
 ろ組の実技担当の先生が笛を吹き、私たちは一斉に学園から走り出した。裏々山まではそれほど距離があるわけではないのだが、腹痛に耐えながら走るのはなかなかに辛い。
「……っ、はっ……」
、本当に大丈夫かよ? やっぱり医務室行った方が……」
「倒れたら元も子もないぞ。何ならお前の分も私が顔変えて走っておいてやろうか」
「あ、りがと……っ、でも頑張るから、平気……」
 そう言った、直後だった。
 ぐらりと視界が反転する――あれ? この道ってこんな急斜面だった、っけ?
 思考を巡らせることもできないまま、はっちゃんが私を呼ぶ声だけがやけに耳に残っていた。

「……ん、」
「あら、目が覚めたのね」
「や……山本シナ、先生……?」
 目を開いて最初に見たのは、美しい顔をしたくのいち――山本シナ先生だった。赤い唇が笑みを浮かべている。私はゆっくりと起き上がりながら、シナ先生の方を見た。他の先生の姿はない。
「ええ。気分はどうかしら、くん――と言いたいところだけど、これは、偽名ね?」
「……ッ!」
 不意にそう言われ、私は固まらざるを得なかった。そんな私とは裏腹に、にこり、とシナ先生は笑う。誤魔化すことのできない、強かなくのいちの笑顔だ。いつも見せているそれとは似ているようで違う。蛇に睨まれた蛙なんてことわざを思い出しながら、私はギュッと布団を握り締めた。
「竹谷くんが血相変えてあなたのこと運んできてくれたのよ。後でお礼を言うことね」
「先生……あの、私……」
「……新野先生と私。それから医務室に居合わせた四年の善法寺くん。この三人はあなたが女の子だということを知ってしまったわ」
「っ、それは、」
 何か言わなきゃ。そう思うのに、言葉が出てこない。
 しどろもどろになっている私をよそに、シナ先生はゆるりと首を振る。
「竹谷くんたちはまだ知らない。でも、流石に隠し通せる問題じゃあないわね……このことは、学園長先生に私からお話させていただくわ」
「……はい」
 バレた。なら、言い訳なんてできない。大体男か女かなんて、服を脱がせてしまえば一瞬でバレる。そうじゃなくっても、骨格や体付きでごまかせない年齢がいつか訪れると知っている。
 シナ先生は私の頭をくしゃくしゃと撫でてくださった。きっと、くのいちの子たちにもこういう風に優しく指導していらっしゃるのだろう。
「まだ頭が回らないだろうし、事情は後で学園長先生の庵で聞くわ。それまでに話すことを纏めておくといいわ。それから、お風呂に入ってさっぱりしてらっしゃい。今はもう夜だから誰も入って来ないでしょうしね」
「解り……ました。ありがとうございます、シナ先生」
「血が出たのは初めてだったかしら? でも、それは女の子なら仕方のないことなの。対処法を教えるから、風呂から上がったらしておくこと。解らなかったり痛かったり、何かあったりしたら、すぐに私を呼んでちょうだい。いいわね?」
「はい……ごめんなさい……」
「いいのよ。とにかく、無理はしないこと。約束よ?」
 こくりと頷いた私の頭を、シナ先生の手がまた撫でる。それからシナ先生は色々なことを教えてくださった。本来なら学園長先生への報告が先だろうに、時間的猶予をくださったことに感謝の気持ちしかない。今すぐにでも学園を追い出されたって仕方のないような生徒なのに。
 シナ先生が去って、私は勧められた通りに入学してこの方性別のせいで一度も入ったことのなかった風呂場を訪れていた。深夜だから当然、人影はない。
 わざわざ私のために新しいお湯を張っておいてくださったようで、浴槽からは湯気が上がっていた。その分、身体を洗うついでに浴槽も洗っておくよう言われたのだけれど。
「はー……」
 長いようで短い学園生活だった。
 入学して、はっちゃんと同室になって、雷蔵と三郎と仲良くなって、兵助と勘ちゃんとも出掛けるようになって。委員長や仙蔵先輩に褒めてもらったり、喜八郎と罠を仕掛けたり。そんな日々が、明日にでも終わるかもしれない。そう思うと悲しかった。自業自得だと解っているのに、明日にはもう萌黄色の制服に袖を通せずに門を出る羽目になるかもしれないと思うと、胸が苦しくて苦しくて仕方ない。
「っ……うぅ……」
 初めて入るお湯が、そんなはずはないのにまるで傷口に沁みるように感じた。泣いたって何も解決しないと解っている。それでも涙が止まらない。
「だ、めだ……もう、出ちゃおう」
 暖かい空気のせいもきっとある。頭を冷やそうと思って浴槽から出た瞬間――ガラリと音がした。
「やっぱりここか?」
「っ!?」
 引き戸を開けて、ほかほかの風呂場に入ってきたのは。
「……、なんで……? お前、風呂、入れないんじゃ……」
 私の同室――竹谷八左ヱ門だった。
 そして話は、冒頭に戻る。


「……さて。、此度の件、どういうことか説明してくれるな?」
「は、い」
 ところ変わって、学園長先生の庵。
 風呂での一件の後、私ははっちゃんに説明する間もなくシナ先生のところに走って行った。だからと言って隠せるわけでもない。シナ先生は半裸で飛び込んできた私に流石に驚いたみたいだったけど、すぐに着替えを渡して髪も乾かすよう言ってくれた。
 着替えを終えて、その日は先生のところに泊めていただいた。はっちゃんの方もなんとかしてくれた先生はとにかく一晩休むようにと私に告げ、夜が明けてから学園長先生の庵に向かうことになった。中に入れば学園長先生の他に、はっちゃんと三郎と雷蔵の姿があって流石に驚いたけど。はっちゃんには知られた。三郎がいるのは、三年ろ組の委員長だからだと思う。雷蔵は……どうしてかな。一緒に来いって三郎に言われたのかも。
 私の秘密を知っているのがシナ先生や教職員、それから伊作先輩だけならまだ良かったのかもしれない。でも、はっちゃんは知ってしまった。ここまで来たら、もう隠すことなんてきっとできない。
 シナ先生に言われるがまま、私ははっちゃんの前列に腰を下ろす。学園長先生は私を見て、それから深く息を吐いた。
「まず最初に……お主の本当の名は、なんという?」
――、です。というのは、私の弟の名前で」
「『』……」
「……では、。お主は、どうして性別を偽ってまで入学した? お主の忍術の腕は聞き及んでいる。くのいち教室でも十分どころか、それ以上の実力を発揮できる腕前だと思うたがのう」
 ぽつりとはっちゃんが私の本当の名前を呼ぶのを聞きながら、私はゆっくりと口を開いた。喉が乾く。でも、話さなくちゃいけない。逃げ道なんて、もうないんだから。
「私が、忍術学園に入学した理由は――……」
――弟が死んだ。
 私が忍術学園の門をくぐる一年前の話。
 の双子の弟である純明快。戦に巻き込まれたのだ。私たちの住んでいる村は地形的に攻め込みにくい場所にあり、戦から逃げる分には適している。だが、そこに目を付けられてとある城の力押しの攻め込みによって駐屯地として利用されてしまったのだ。
 その城が絡んだ戦で、村は敵対していた城に攻め込まれた。戦自体には勝てたものの、村としての被害は甚大だった。周りを急斜面ばかりの山に囲まれた攻め込みにくい地形――それは、村人が逃げにくい閉塞した環境でもあったということだ。
 結果として私たち家族はを喪い、父も母も、もちろん私もひどく落ち込んだ。あのとの手を離さなければ良かったのにと、私は今でも思う。もちろん現実的に考えれば、私がの手を引けていたところで彼の背に矢が刺さることは避けられないと解ってもいるけれど。
 父は元々プロの忍者だった。昔は城仕えをしていたのだが、ある日忍び込んだ先で母と出会い、一目で互いに恋に落ちたと聞いている。二人は結婚し、父は退職を選んで母のために村の畑を耕すことを決めた。だが父は城を大切に思っており、忍者を辞めた後も城と主人のことを考えていた。
 そして私とが産まれたとき、父を忍びに育て、寿退職を許してくれた城に仕えさせようとしたのだ。
 でも――は、死んだ。
 父にとっては相当のショックだったに違いない。ただ子供が死んだだけではなく、恩返しの「道具」を失ってしまったのだから。
 けれど、彼は代替品の存在を思い付いた。それが私――
 の双子の姉であるところの、
 父にとっては幸いにも、私は幼い頃かと山を走り回って遊んだり、山から村に入ってこようとする山賊を捕らえるために罠を仕掛けたりしていた。つまり、忍びに重要な体力と判断力が備わっていたのである。
 そうして――私は。
 の着物に袖を通し、の名を名乗って。
 二年と少し前に、忍術学園の門を叩いたのだった。



2025.03.24 柿村こけら


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