ステアリングウィズレイン

19:長かった雨の終わり

「こっちで合ってる?」
「うん。学園に登録されてる家の所在地は間違いないよ――タマカズラ村。周囲を山に囲まれていて侵入が困難だっていう」
 脳内に地図を叩き込んだ雷蔵が木々の間を飛びながら告げる。学園でマキバシラ城の領地であるタマカズラ村のことは調べられるだけ調べた。山を幾つも越えなければならない立地は他方からの侵入者を拒み、守りに徹する絶好の場所ということ。の実家は村の東側に位置していること。他にも使えそうな情報は全て暗記している。
「どう動く?」
「……一番いいのは、家を出て旦那さんのところに行く瞬間かな。終わってからじゃ手の出しようがないし、始まる前は警備がある程度整っていると思う。流石に式の最中に刀持ち出す奴はいないんじゃない?」
「となると、撹乱班と救出班に別れた方が良さそう。三郎、お前立花先輩から何か預かってたよな?」
「ああ。に見せろと預かったものがあるから、救出の前に見せておきたいな。となると……下見も兼ねて私が変装して辺りを確認しておくのがいいか」
「……それ、俺も一緒に行きたい。なんつーかさ、やっぱ同室だし」
「いいと思うよ。じゃあ救出が三郎と八左ヱ門で、撹乱が俺と兵助と雷蔵だね」
 勘右衛門の言葉に、こくり、と全員が頷き合った。六人で任務に挑んだことは何度もあるし、連携には自信がある。失敗は許されない戦いに緊張こそすれど、誰も恐れてはいなかった。
 枝を強く踏み込んで、八左ヱ門が視線を森の奥へ投げる。
「この辺で二手に別れよう。俺と三郎は変装しての家の方に。雷蔵たちは村の状況を把握してくれ。後で一旦集まろう」
「解った。じゃあ僕たちは西に行くね」
 八左ヱ門の言葉に頷き返すと、雷蔵は木の枝をしならせて飛躍する。それに続いて勘右衛門と兵助も森の奥へ消えた。
 三人を見送って三郎はふと空を見上げる。墨色の雲が抜けるような青を徐々に侵食していた。



「……失礼します」
 今度は誰だ、と思いながら私は顔を上げた。さっき母が出て行ってから大した時間は経っていないはずだ、一体誰が――と思いながら顔を上げると、そこには見慣れない顔がある。そう人口の多い村じゃないし、村人の顔くらいは頭に入っている。見慣れない人がいるとすれば、村の外から来た人間――ということは。
「……あなたが、マキバシラの?」
「はい。さんの婚約者ということになります」
「父はああ言ったんだと思いますが、悪いけど私はあなたと結婚する気ありません。できれば今のうちにあなたの方から結婚を取り下げてくれると嬉しいんですけど」
「……正直、ぼくも乗り気ではなかったんですよねえ」
 利吉さんと同じくらいの長さの髪を揺らしながら、彼は冷たい床に座った。張り詰める空気に、彼が私とは違う本物の忍者で、場数を踏んでいるということが嫌でも解る。
 彼はじっと縛られた状態の私を見て、それから唇を緩めた。こちらの戦意を削ぐような薄笑いに、背筋がゾクリと震える。
「男の格好をして忍術学園に通っていたと聞いてはいましたが、てっきりのらりくらりと進級できただけの甘ちゃんだと思っていましたから。……でも今、あなたに会って気が変わりました」
 そういえば今更だけど、私は顔どころか彼の名前さえ知らなかった。マキバシラ城に仕える忍者というだけしか、彼に関する情報はない。それが何より、父が彼のことも自分の欲望を叶えるための駒としてしか見ていないことを示している。
……彼も被害者なのだ。プロの忍者になっておきながら、長いものに巻かれてしまうタイプの。そう思うと、少しだけ同情したくもなってくる。しかし彼はくつくつと笑ったまま、私の髪に手を伸ばす。するりと毛先をなぞられて、抱いた同情は嫌悪感に塗り潰された。
「ッ!」
さんの目を見て解りました。あなたは間違いなく忍者のたまごで、忍者になるに値する人物だと」
「……何が言いたいんですか」
「ぼくもまだ城に認められる忍者になったばかりではありますが――自分の仕事を認め、理解してくれる女性が妻である方が嬉しいじゃないですか」
「それは……私だってそうですよ。私のしたいことを理解して、尊重してくれる人と結婚したい。母様みたいに、夫を立てるだけの人間にはなりたくない。あなたの言い分は解らなくもないですけど……せめて私が忍術学園を卒業してからじゃいけないんですか?」
「それもそうですよねえ。その点に関してはぼくも同意ですし、あなたが忍者になった後に結婚するのも全然アリだとは思うんですが。……どうもお義父さんの方が、早急にぼくを手元に欲しいようで。ぼくの父親も似たような考えをしているものですから、若輩者のぼくの意見なんて通らないんですよ」
「……」
 消えた同情が少しだけ戻ってくる。
 忍術学園だって年功序列は厳しい。それがより厳しくなった世界に彼は生きている。私たち五年生は六年生の言うことには従うし、滅多なことがなければ文句なんて言わないけど、でもそれは六年生を本気で尊敬している気持ちが根底にあるからだ。
 でも彼は違う。私も違う。私も彼も、自分の父親からの「命令」に背くことができないから首を縦に振るしかできないだけ。こんな結婚が間違っていると解りながらも、口答えが許されていないから逃げられないだけ。
「……すみませんね。あなたが黙ってぼくと結婚するのを、見ていることしかできなくて」
「いえ――少なくとも、あなたが悪い人じゃないことは、よく解りました。あなたに当たっても何も変わらないということも。……あの、ついでと言ってはなんなんですけど」
「はい、なんでしょう?」
「逃げないから、この縄ほどいてもらってもいいですかね……」
 もぞもぞと身体を反転させ、私は手首を縛っている縄を彼に見せる。このままじゃ着替えだってできない。彼はここまでする私の両親(彼からすれば義両親になってしまうのか……可哀想に……)に呆れつつ、ピッと縄を斬り落としてくれた。
「それでは、また後程」
 にこりと笑って彼は納屋を出ていく。縛られていた手首にはすっかり縄の痕が残ってしまっていた。うへぇ。
「はあ……」
 彼が出ていって話し相手もいなくなり、私はぼけっと何もない宙を見つめた。今更足掻いたって無駄なことだ。小さな村だから、誰かが結婚するときは村をあげて祝いの席が設けられることもあり、逃げ出すことは不可能。祭りに乗じて攻め込む者がいることも考え、村の出入り口は警備が固めるはずだし……何より、ロクに栄養も摂っていない私が逃げられるとは思えなかった。私が逃げたとて、追いかけてくるのは彼なんだろうし……いくら私がいけどんマラソンで鍛えているといっても、プロ忍者に追いかけっこで勝てるわけもなく。
 手が自由になったけどやっぱりご飯を食べる気にはなれなくて、私は膝を抱えて座ったままただ動かずにいた。
 今頃学園では授業中だろうか。無理矢理署名させられたあの手紙を、はちたちは読んだのだろうか。私の部屋に、まだ私の私物はあるのだろうか。布団も、制服も、忍たまの友も、筆も、はちと並べた机も、まだ残っているのだろうか?
「っ……う、ぁ……」
 考え始めたらキリがなくって、両目から大粒の涙が零れて袖を濡らした。拭っても拭っても涙は溢れて止まらない。ここまでずっと考えずにいた、私に押し付けられた「未来」が、ぎちぎちと首を絞めていくかのようで。
 もう、戻れない。
 私はあの人の妻となって、忍者にはなれないまま死んでゆく。はちにも、雷蔵にも、三郎にも、勘ちゃんと兵助にも、委員会のみんなや七松先輩にだって、二度と会うことなく一生を終える。
「……やだ、なぁ」
 一年生で、初めて出会ったみんなと意気投合して。
 二年生で、学園にも慣れ始めた中で後輩を迎えて。
 三年生で、みんなは本当の私を受け入れてくれて。
 四年生で、今後もみんなと肩を並べる覚悟をして。
 五年生になって――この前怪我したのが遠い昔のようで。あと一年と少し、走り抜けるだけだったのに。
「やだ……っ、私……なんでこんなとこ、っう……」
 考えれば考えるほど涙が頬を濡らす。あーあ、酷い顔になってるんだろうなあ、なんて、どこか冷めた考えを浮かべながら、それでも涙は止まらずに私は誰もいない納屋でこどものように泣き喚いた。
「……はち、会いたいよぉ」
 はちだけじゃない。みんなに、会いたい。であったを受け入れてくれたみんなに。
 大好きで大切に思っている、みんなに。
「っうぇ……はち……はっ、ちゃん、らいぞ、さぶろ……かんちゃ、へーすけぇ……」
 五人の友人が脳裏に浮かぶ。会いたい、ただそれだけだった。こんなに泣いていては忍者失格だと思えども、やっぱり涙は抑えきれない。ゴシゴシと涙を拭いながら、ばかみたいに同室として一番近くにいてくれたはっちゃんの名前を呼んで、呼んで、呼び続けて――そうしたら。
「……呼んだか、?」
 納屋の扉が小さく開いた。そこに立っている二人は、確かに村人の顔をしている――でも、声は。雰囲気は。
「……はっ、ちゃん……?」
 本能がそう叫んでいる。ボロボロの顔を上げてその顔を見れば、彼はこくりと頷いた。納屋の中に静かに入ってきて、知らないのに知っている手が私の手を握る。
「私もいるぞ、この阿呆」
 横に立っていたもう一人の男が、べりっと面を剥ぎ取った。村人だった顔が一気に見慣れたものへと変貌する。
「……さぶ、ろ?」
「他の誰に見える?」
「雷蔵」
「そうだけど!!」
 他の誰にっていうか雷蔵の顔だしね。じゃ、なくって。
「なんで――ここに、いるの」
 やっぱり止まってくれない涙を拭いながら、私は二人にそう問いかける。はちと三郎は顔を見合わせて、プッと噴き出した。繋いだままだった手をきゅっと握られる。
「なんで? 愚問だな、なぁ八左ヱ門」
「あぁ。決まってんだろ、を迎えに来たんだよ」
 さも当然のように二人は告げた。
 迎え、に?
 私を……ここまで?
「……考えてもなかった。迎えに、来てくれる、なん、て」
「は? 帰ってこなかったんだから、迎えに来るに決まってるだろ。あんな手紙一枚で納得できるかっつーの。つーか、俺たちはも入れた六人で卒業するって決めたんだ。がさっきの優男と結婚してーならお前の意思は尊重するけど、せめて卒業してからにしてもらうぜ」
「見てたの!?」
 二人は揃ってこくんと頷く。
「納屋の中に気配がしたから、聞き耳を立てさせてもらった。あの男が出ていったのを見計らって入ってきたんだ。何せコイツがに会って話したいと喚くものだから」
「俺だけじゃねーだろ! 三郎だって散々に会いたいーって連呼してたっつの。ハナチルサト城のときもそうだけど、お前ほんっとから離れられねーよな」
「黙れ八左! ……そんなことより、これを立花先輩から預かってきた」
「仙蔵先輩から……?」
 薄暗い中でも解るほど耳を赤くしたのを誤魔化すように、三郎は懐から包みを取り出した。するりとそれを解いてみれば、中にあったのは一冊の草子。何枚かの紙が綴じられたそれを開いてみれば、そこには見慣れた字が並んでいる。
「これって……」
 それは、委員会のみんなから私に宛てた手紙が綴じられたものだった。
 仙蔵先輩の綺麗な字、喜八郎のちょっと癖のある字、藤内の少し右肩上がりな字、まだ幼さの残る伝七の字、丸っこい兵太夫の字。どれも「早く帰ってきて」という文面。
 作法委員会だけではない。七松先輩からは早くいけどんマラソンを再開しろという手紙、滝夜叉丸からは七松先輩を止めてくださいという疲れの垣間見える手紙。更に、木下先生をはじめとした何人かの先生方からの物まであった。
 手紙一枚で、私と学園の縁が切れないというのなら。
 手紙一枚で、私はみんなとの繋がりを結び直せる。
「……の方にも事情があるっていうのは解ってる。俺らの我儘かもしれないけどさ、お前に帰ってきて欲しいんだよ」
「だから――俺たちと帰ろう、
 はちの右手と三郎の左手。それから、手元にあるみんなからの手紙。これらはどれも、私の心を捕まえて離そうとしない。
 だって――私のいる場所は、忍術学園なのだから。
「……ありがとう」
……!」
「私――帰りたい。ううん、帰ってみせる。でも、逃げたくはない。認めさせた上で、みんなのところに胸を張って帰りたいの。だから……みんなの力を貸して欲しい。父さんを納得させて、みんなと忍術学園に帰るために!」



2025.03.24 柿村こけら


Prev / Back / Next