祈りは永遠に。
09:詠唱
「急に呼び出して何? こっちも戻ったばかりで忙しいんだけど」
「全くです。新しい譜業の実験が……」
不満そうな顔でシンクとディストが医務室に入ってくる。アッシュは二人を見て溜息を吐いた。そりゃ、自分だって本来ならこんなことに時間を割く余裕なんてない。それでも部下に任せずに付き添っているのは、彼女――が異なる世界から来たというイレギュラーであることと、ヴァンが何やら彼女を「使える駒」として見ているらしいことが理由だった。じゃなかったら、訓練中に怪我をした人間に構ってやる必要はない。
「報告だ。先ほど俺との合同訓練中に、が怪我をした」
歩きながら説明すれば、シンクの舌打ちが微かに聞こえた。「そんなことで呼び出すな」と言わんばかりの音に辟易しながら、アッシュは奥の部屋に入る。そこあるベッドでは、肩のあたりに包帯を巻かれた少女が眠っていた。
「仮にも副師団長だから……というのもあるが、妙な点があってな。コイツはオールドラントとは異なる世界から来たんだろう? なら、何か検査が必要かもしれない。くだらねえことでコイツを死なせたらヴァンに文句を言われるのは俺たちだ」
「……まあ、それはそうかもね」
「アッシュ、妙な点というのは?」
が入団してしばらくディストに色々と話を聞きに行っていたこともあってか、ディストは珍しく彼女のことを気に入っているようだった。知る者が見れば、その姿はかつてアニスにあれこれ世話を焼いてやっていた(世話を焼かれていた、とも言うが)姿を彷彿とさせるかもしれない。彼はかちゃりとメガネを押し上げると、ベッドの上で苦しそうに眠っている少女を一瞥した。
「訓練自体は単純なものだった。の放つ大型譜術を避け、対応するヤツだ。は詠唱中に怪我をした……んだが、実際にコイツを斬った兵士の話を聞くと、どうも『詠唱破棄に失敗した』らしいんだ」
「失敗……?」
「ああ。詠唱完了は間に合わないと踏んで、切り上げて出力を落としてでも発動させる方を選んだ。だが、譜術は発動しなかった。兵士の話じゃ、音素の収束がされている感じはあったようだ」
アッシュもシンクも譜術を使うことができる。場合によってはがそうしようとしたように詠唱破棄で展開することがあるからこそ、彼女の「不具合」には疑問を抱かずにいられなかった。ましてや音素が集まっていたというのなら、譜術が発動しない方がおかしい。
「ここに運んだときはまだ意識があったから、ディストに検査させることの許可は取っている。今は傷の手当てをした直後……少し落ち着いたら、おまえの方で検査をしてほしい」
「解りました。この世界とは異なる世界からの来訪者ですし、身体の構造からして違うところがあるのかもしれません。が落ち着くまでに検査の準備を整えさせていただきますよ」
「別にボクはどうだっていい。コイツがいなくても第五師団が動けなくなるなんてことはないしね。……まあ、一応は部下だから報告くらいは受けるけど。死神、データがまとまったら持ってきて」
「ですから! 私は! 薔薇ッ! 薔薇のディストだと――こら、シンク!」
ひらひらと厭味ったらしく手を振って、少年は医務室を出ていってしまった。キーッ!と怒るディストを尻目に、アッシュは眉間に皺を寄せて眠るの姿を見る。巻いたばかりの包帯には血が滲んでいて、そんなもの見慣れているはずなのに思わず目を逸らしてしまった。
「検査の結果、出ましたよ」
怪我をしてからしばらくして、私はディストに検査をしてもらった。怪我自体はただの切り傷だったのに妙に治るまで時間がかかったため、ディストの研究室に向かうにはちょっと時間がかかってしまったけど、テキパキと検査してくれたお陰でスムーズに結果が出たらしい。
そんなわけで私はシンクと共にディストの研究室を訪れていた。シンクはひどくめんどくさそうだったけど、直属の部下でありヴァンの駒になる予定の人間のことは把握しておく必要があるとかで着いてきてくれたのだ。
「結論から言いますと、が譜術を発動する際には『完全詠唱』が求められるようです。詠唱破棄で威力を落とした譜術を発動することはできず、発動そのものが無効化されてしまう」
「それはどうして?」
「いろいろ調べてみたのですが……どうもあなたの身体は音素振動数が一定ではないようなのです。普通、人間には固有の音素振動数というものがありますが、のそれは常に変動している。譜術を使う際、大気中の音素を身体に収束させて術として変換しているようですが……その命令こそが『詠唱』というわけでして。ですから詠唱を破棄してしまうと自らの身体に集めた音素が散らばってしまう。伝わりましたか?」
「えっと……例えば『エクスプロード』を使うためには第五音素を収束する必要がある。第五音素をエクスプロードの形に変化させるのに詠唱が必要だけど、それを途中でやめちゃうと固まる前に溶けちゃうから……みたいな感じ?」
「まあ、そのような感じですね。それに加えて、譜術を使う際あなたの身体はその音素に対応しているようなのです。エクスプロードを使う際は比較的第五音素の多い構成に、ホーリーランスであれば第六音素が多い……というように」
自分の手を見てみる。ぐっぱーぐっぱーと動かしても、この身体の中でそんなことが起きているなんて思えもしなかった。見た目には普通の人間っぽいのに……って、それはルークやシンクも同じか。
「つまりコイツは、完全詠唱以外で譜術による攻撃をすることはできないってワケだね」
「ええ。咄嗟の切り替えができないのはデメリットですが、メリットもありますよ。計測したところ、の譜術は平均的な譜術士よりも幾分か威力が高いのです。恐らく、一撃ごとに音素振動数が対象の音素に寄るものだからでしょうね」
「……ふぅん。まあ、理由が解ったならそれでいいよ。アンタも次からは発動できる範囲の譜術を選んで使ったら」
「そうする。ディスト、検査ありがとう! 気を付けるね」
「ええ。また何か違和感があったら検査に来てください。あなたの身体には不思議なところが多く潜んでいるようですから」
さっさと部屋を出ていってしまったシンクの後を追って、ディストに礼を言ってから部屋を出た。完全詠唱で、となると……グランドクロスのように長い詠唱を必要とする譜術はやっぱり安全なところでしか使えなさそうだ。
私の詠唱は結構感覚に依るものだったりする。ただ文言を述べているわけじゃなくて、詠唱を始めると身体の中に音素が溜まっていくような感覚があって……それがキャパを満たすまで詠唱を続けなくちゃいけないみたいな。音素が溜まった時点で詠唱も終わり、ようやく譜術を放つようになれるイメージ。ぶっちゃけグランドクロスの詠唱はコレットのものとほぼ同じだから、もしかすると私の中で「この術はこの詠唱を完了するくらいの音素が必要」みたいなイメージが漠然とあったりするのかも?
「あの……シンク、ごめんね! しばらく医務室で、迷惑かけちゃって」
「別に。二日くらい寝てたけど、その後は医務室に書類持ち込んでたんでしょ。別にこっちの仕事が詰まったりしてないから、気にしないでいいよ。アンタがいなかったくらいで困ることもないし」
「うぐ……それはそうだけど。でも一応、仕事をしてお給料を頂くようになったから申し訳なさがあるんだよ……って、あれ?」
第五師団室の前に誰かが立っている。兵士揃いの鎧を着ているから遠目からでは誰だか解らなかったが、近付いてみるとその人は第五師団の部隊長のレグルさんだった。
「お疲れ様です、レグル隊長。もしかしてお待たせしちゃいました? すみません、ちょっと二人でディストのところに行っていて……」
「いえ、お気になさらず! 自分は副師団長への言伝を預かってまいりました。ヴァン総長より、戻られたら総長の執務室に来てほしいとのことです」
「ヴァン総長が? 解りました、連絡ありがとうございます! シンク、私行ってくるね」
シンクは何も言わずに師団長室へ入っていってしまった。……まあ聞こえてはいるでしょ。それに彼の言う通り、私なんていてもいなくても仕事に大きな差なんて出ないんだし。
レグルさんにもう一度お礼を言って、私はヴァンの部屋へ向かう。ノックをして中に入ると、相変わらず彼はどっしりと私を待っていた。
「お待たせしてすみません」
「構わない。ディストに検査結果を聞きに行っていたのだろう? 私もディストから直接報告を受けている。君の身体構造が稀有であることは把握した。無理せず、怪我をしないよう努めてくれればいい」
「ありがとうございます。自分の限界を把握して行動させていただきますね。……それで、その。今日は、その件で……?」
「いや、に任務を頼もうと思ってね。君のことだからメシュティアリカたちがどこで何をしているかは把握しているだろうが……あちらに合流して、導師イオンを連れてきていただきたい」
「……」
「何、導師イオンに危害を加えたいわけではないさ」
「ああいえ、そうではなく……実は私も、ティアたちに同行できないか確認したいと思っていたところだったので、びっくりして」
結果的に、倒れていたことでルグニカ平野を渡るタイミングにばっちり合ってしまったことにもびっくりはしているのだが。ヴァンはそんな私を見ながら、ゆったりと窓の外に目を遣った。
「こちらで得た情報によると、メシュティアリカやルークはルグニカ平野を移動して次の目的地を目指しているらしい。マルクトとキムラスカの戦場になっていることは知っているだろう? そこをイオン様が横断されて、何かあったらコトだ。それにイオン様も、無理に連れてこられるより君のような顔見知りに頼まれる方が大人しく戻ってきてくれるとは思わないか?」
どうやら予想通り、私が怪我をするちょっと前にルークたちはマルクトに入っていたようだ。だったら今頃エンゲーブも崩落する危険に見舞われているところのはず。
「……ていうか、ルグニカ平野が戦場になってるのはヴァン総長のせいですよね? せいというか、目的がそうだったというか」
「さあ、どうだろうな。それより任務は頼んでも構わないか?」
「もちろんです。ただ、ここからの徒歩移動はかなり厳しいので途中までの移動手段を頂ければ。多分、エンゲーブからケセドニアに向かう途中くらいで合流できるんじゃないかと踏んでます」
「承知した。手配は済ませておくから、準備をしてすぐに発って欲しい。イオン様とメシュティアリカのことを頼むぞ、」
こちらをを振り返ると同時に浮かべられた笑顔がうさんくさすぎる。とは言え表面上はヴァンと敵対するつもりもないので、私は大人しくお辞儀をすると部屋を出た。来た道を引き返し執務室へ。一応出張みたいなものだし、シンクに報告してからちゃちゃっと準備しちゃおう。まあ特に荷物もないから、アイテムを適当に持っていくのと……あ、地図! 持ってるかシンクに聞いてみよう。流石にこの短期間じゃ備品申請は間に合わない。
「シンク、私ヴァンの指示でちょっと出てくるね。それで申し訳ないんだけど、地図とか持ってたりするかな……? ざっくりとした世界地図は覚えてるんだけど、細かいところは解らなくて」
「あったと思うけど、どこの?」
「えっと、エンゲーブとケセドニアの道が解るやつがあると嬉しいな。エンゲーブからルグニカ平野を横断してケセドニアに向かう予定なの」
そう言えば、シンクの手が一瞬止まる。参謀総長である彼が、今ルグニカ平野が戦地になっていることを知らないわけもない。仮面の下の顔はすごく呆れているかもしれなかった。しかし何も私が自分からルグニカ平野に行きたいですと言い出したわけではないので許して欲しい。
「地図はこれ。それから……これも持っていけば」
「これ……キュアボトル?」
「この前補充したんだけど、特典だとかで発注より多く届いて邪魔だったから。アンタ適当に処分しといてよ。長旅なら一つくらい持ってても構わないだろ」
「う、うん! ありがとうシンク。地図も助かった。じゃあ、いってきます!」
「……せいぜい死なないようにね。長ったらしい譜術は使うのやめておきなよ」
皮肉たっぷりの言葉で送り出され、私はシンクに借りた地図と貰ったばかりのキュアボトルをカバンに入れて部屋を出る。騎士団の裏口から外に出れば、ヴァンが手配しておいてくれた馬車が私を待っていてくれた。御者さんに目的地を伝えると、私は随分と久し振りになったダアトの外へ飛び出した。
2025.12.15 柿村こけら
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